第2520回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2018年12月25日の投稿です。
独裁者 アドルフ ヒットラーの やましい以前の過去を知る人は、突然、
ゲシュタポ や、親衛隊の兵士が自宅にやってきて、 行方不明になって行った
そうです。
彼は 権力者の威厳を保つ為、 自分の過去のやましい事を知る人を次々
葬っていったのです。
それゆえ、彼が刑務所でどのような生活を送っていたのかと言う事については
謎が多く、多くの研究者が戦後研究の課題にしている重要なテーマです。
戦後の日本の刑務所のように、 仕事をさせられたり、 拘置所のように監禁
されたり、 取り調べを受けたり、 そういうことはあったのかもしれませんが
多くの研究者の論文では、 普通の刑務所とは違い、 ルーズな、ゆるやかな
刑務所であったとされています。
どういうことかというと、 広い雑居房という場所に入れられて、後は何をしようが
秩序を乱さなければ 見咎められず、 新聞を読んだり、本を読んだりが自由で
訪ねて来た人に面会するのも自由であったとされています。
そこに出向いてムッソリーニの動勢を書いた新聞記事を読むことを楽しみにして
いたという言い伝えもあります。
そう言う場所で、出所後は どうするのか、どうあるべきなのか、ドイツという国を
どうしたらよいのか、そういう討論を 雑居房に一緒に入っている人達と語り合い
それを ルドルフ ヘスが文章でまとめていくことが始まったとされています。
ヒットラーという人は、 ずいぶんと偏った性格で、 自分の好きなことしか
行わない人で、 肉は嫌い、魚は嫌い、野菜とジャガイモしか食べない人で、
文章を書くことも嫌いだったそうです。
というのが彼は、小学校から不登校で 文字の勉強もまともに受けていなかった
ので 文章を書いたり、計算をしたり、特に 数学的なことなどが不得意だった
そうです。
不得意でなくて、 嫌いだから やりたくなかった。 と表現した方がよいと思います。
そこで、ヒットラーが思ったことを ペラペラとしゃべり、 ヘスがそれを聞いて、自分
の考えや要約を入れて、文章を作っていったのが、「 世の闘争。」の文章でした。
いる内容は、ルドルフ ヘス が書いた本となるそうです。
この本を読んでみると、 確かに一部は ヒットラーの言葉も加わっていますが、
ヘス が授業で専攻していたお話しです。
つまり、ドイツが西に進むと、どうしても フランスやイギリスとぶつかってしまいます。
そこで、彼等は強力な国家で、それと戦争をすることはさけ、ドイツは東に進むべきで
あるという考えです。
これは、後の副総統 ルドルフ ヘスが 大学生の頃、ミュンヘンの大学で
勉強していた頃の 構想です。
ちょうど その当時、 1924年 大正13年の7月頃、教え子のヘスの心配をして
ヒットラーは多いにこの人物に影響を受けたとされています。
【 明日に続く。】