第2524回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2523話 ヒットラーと大ドイツ民族共同体のこと。


                     2018年12月29日土曜日の投稿です。




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【 刑務所の中ヒットラー達と外部のつなぎ役を務めた ワーグナー婦人】



【 前話の続きより。】


  面会にやってきた ワーグナー婦人には、手紙などは渡さず、小声で用件を

 伝えて、暗記してもらい、 彼女が ヒットラーの指示で、その人物に面会して

 ヒットラーの要望を伝えていたそうです。



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  ただし、多くの人が実際はその場しのぎの返事をして、相手にしなかったとい

うか、関わり合いになるのをさけたそうです。

 そんな中、 積極的に協力した人物というのが、アルフレート ローゼンベルクと

言う人だったそうです。

 当時、 国家社会主義ドイツ労働者党の機関誌のチラシを製作するような業務を

行っていたロシア在住であったドイツ人の孤児で、ミュンヘン一揆の前後に当地に

難民のような形で流れ着いた そんな身の上の家族のいない青年だったそうです。



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                 【 アルフレート ローゼンベルク 党員 】


  当時 ヒットラーが35才で、 ローゼンベルクが31才であったそうです。

 刑務所の中ヒットラーと、 面会と称して 接触していた ワーグナー婦人と

 ミュンヘンの ローゼンベルク との間に連絡網が出来て、 ローゼンベルクが

 ヒットラー代理人として いろんな人と交渉する仕組みが出来ていったそうです。



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   ミュンヘン一揆の後、 ヘルマン ゲーリングなども投獄され、 当時の

  ワイマール共和國 こと、 ベルリン政府や バイエルン王国によって、ヒットラー

  の国家社会主義ドイツ労働者党は活動が禁止されていたそうです。

  活動が禁止されている状況というのは 戦後のドイツとよく似た状態であった

  そうです。

  そこで、 ダミーの団体が作られていったとされています。

  1924年 大正13年の夏に設立された 大ドイツ民族共同体 というグループ

  の代表に アルフレート ローゼンベルクが就任し、 ドイツ以外の 北方の各

  都市に散らばって住む ドイツ系の住民の相互扶助を目的とした活動が開始

  されていったそうです。


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    【 ドイツ民族の結集を考えていた ルドルフ ヘス 後の副総統】



  これらの団体の設立や その趣旨は ヒットラーが考えた物では無く、ヘスが

 知恵をだしたものとされています。

 彼は、 ミュンヘン大学の カール ハウスホーファー教授の 東方圏に散らばる

 ゲルマン民族の結集の第一歩として、 大ドイツ民族共同体 という組織を、

 ヒットラーに自分の考えを伝えて、 ヒットラーと一緒に刑務所の中から作っていく

 行為に及んでいったと言い伝えられています。



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 この 大ドイツ民族共同体という組織は、 表向きは、ゲルマン民族の結集を

 呼びかける組織でしたが、 実際は 刑務所の中ヒットラー達を早期に保釈

 する活動を行う組織であったと言われています。


  【 明日に続く。】