第2545回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2544話 日本海練習艦隊 海軍と神道の関係のこと。



                       2019年1月19日土曜日の投稿です。



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   【 前話の続きより。】



  1924年 大正13年10月、 私達 日本海練習艦隊 練習艦 八雲【やぐも】

 の少尉候補生の部隊は、 三重県の 二見浦【ふたみのうら】から、駆け足で

 集合場所の 宇治山田駅前に転進したのですが、 同じ、練習艦隊の出雲の

 部隊が 海上を移動して 早く到着していて、 先導役であった私は、大きな

 ひんしゅくを受ける事になったのです。



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 しかしながら、 後から ぞろぞろと 道を捜しながら、 練習艦 浅間の部隊など

 遅い部隊もあって、制裁訓練などは無かったので 一安心したのです。



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   全部隊が 当時の宇治山田駅前に集合すると、私達の少尉候補生の部隊は、

  宇治山田駅に到着した順番に 伊勢神宮へ向けて転進することになったの

  です。



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  戦後の現在も当時もそうであったのですが、伊勢神宮というと観光名所で

 あったのです。

 そして、皇室所縁の神社でもありました。

 日本海軍では、基本的に日本古来の神様を敬っていたのです。



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  例えば、 昭和16年12月に行われた真珠湾作戦では、 私が乗艦していた

 第1航空戦隊 旗艦 航空母艦 赤城 の中には、 神社があったのです。

 今は 多くの戦友が亡くなり、 知る人は少ないのですが、 ここの赤城神社


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           【 航空母艦 赤城にあった 赤城神社の古写真 】





出撃前に整列しまして、私達は武運長久を祈り、それから 飛行甲板に上がって

いったのです。

 これらは映画トラトラトラ でも1つのシーンとして再現され紹介されています。



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   そして 練習艦隊の艦艇で 事故死したり、病死したりすると、 戦後の

  現在のように 僧侶がお経を上げたり、 仏像が安置されたりすることは

  なく 神道によって 位牌が安置され葬儀が行われていたのです。



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 そのように事情で、近々行われる外洋への練習航海の無事帰還を祈願する

為に、 出雲の少尉候補生の部隊を先頭にして伊勢神宮に進むことになったの

です。


【 明日に続く。】