第2547回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2019年1月21日月曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
神宮を訪問して、外洋練習航海の成功と無事を祈願を行いに伊勢にある
神宮を訪れたのです。
【 大正13年撮影 伊勢神宮 古写真 】
「 伊勢神宮こと 神宮のーーー。」と紹介したのですが、 大正13年の当時
は 神宮 【じんぐう】 と呼ぶのが正式であったのです。
どういうことかと言うと、 すべての神社の上に位置する 皇室の氏神 という
位置ずけで、 ただ 神宮 という名前であったのです。
そういう事情で、全国の どんな大きな神宮よりも別格で、 その上に位置する
神社の総本山という感じであったのです。
私は、「 ほうーーー奈良の橿原神宮よりも 上なんやろか。」と思ったのですが
不要な言動で制裁訓練の対象になったらいけないので、喉まで出かかった言葉
を飲み込んだ記憶があります。
続き、 そうーーーあれはたしか、昭和42年でありましたか、当時の総理大臣
佐藤 栄作 先生が伊勢の神宮を参拝され、 その後、 正月の4日に、内閣
総理大臣が参拝されることが慣例行事となっています。
【 練習艦隊 司令長官 百武 三郎 海軍中将 】
ところで、私達 練習艦隊で一番に参拝したのは 実際には、百武 三郎
海軍中将でありました。
そして、司令部の 佐官、尉官の順番で参拝した後、 次ぎに 宇治山田駅
一番到着の 練習艦 出雲 の少尉候補生が参拝したのです。
そして、次ぎに 私達 練習艦 八雲 の少尉候補生が参拝を行いました。
あれは いつであったか、源田 實 候補生に、「 何をお祈りして 頼んだ
んや。」 と 水を向けると、彼は、「 海軍をクビにならないように。」 とお願いした
そうです。
それを聞いた私は、「 なんや 一緒やないか。」とニコニコ話したのを記憶して
います。
られる人が多かったのです。
すべて、 原 内閣当時に計画されていた 「 八八艦隊構想。」が取りやめに
なった そのあおりでした。
【 明日に続く。】