第2550回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2019年1月24日木曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
「 ふ゜---ぷーーーぷっぷっぷー、ぷーぷーふっぷぷー ぷっぷっぷー
ぷっぷっぷー、ぷっぷっぷっぷぷーぷっぷぷぷーーーーーっ。」
1924年 大正13年の10月 愛知県の名古屋の港に停泊した 日本海軍
練習艦隊 の私達の部隊は、 翌日、 娑婆の人達こと、 一般の名古屋のみな
さんに、自分達が寝起きする 練習艦 八雲の 艦内を展示案内することになって
いったのです。
その目的というのは何故 そのような事を行うのかというと、 国軍 【こくぐん】
と 当時呼んでいたのですが、 海軍のアピールと 広報を行う為であったのです。
この艦内展示を見て、海軍に志願する水兵も当時多かったのです。
当時の記憶によると、「 特に 身だしなみについて注意し、 事故が無いように
努めよ。」と 命令があったことを記憶しています。
一般の人達が 艦内に来られるので、 服装をちやんとして、一般の人がケガを
されたりしないように、 失礼のないようにとのお話しでありました。
当時、私達は知らなかったのですが、事前に 新聞か、何かで、予定が知らさ
れていたのか、大勢の名古屋周辺の人達が 見物におこしになられたのです。
当時、「 ホゥーーーーすごい 見物人やのぅーーー。」 と 周囲とお話しをしながら
甲板から岸壁を見ていたのです。
当時の 見物客の興味の場所は、 主砲でした。
つまり 大砲を見て、 「 ほうーーーー。」 と感心する人が多かったように
記憶しています。
こうして 名古屋到着の2日目はあっという間に過ぎていきまして、 次の
命令が発令されることになって行ったのです。
【 明日に続く。】