第2551回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2550話 日本海練習艦隊 電灯艦飾準備命令のこと。



                       2019年1月25日金曜日の投稿です。



イメージ 1



  【 前話の続きより。】


   1924年 大正13年の10月 日本海練習艦隊の司令部附きの軍楽

  分隊がにぎやかな音楽を演奏する中、 愛知県の名古屋市周辺の民間の

  一般の人達が 練習艦 八雲 【 やぐも 】を訪れたのです。


イメージ 2



  この 艦内展示と呼ばれる 民間人を乗艦させて、海軍をアピールする活動は、

日本海軍を宣伝し、 水兵などの志願者を作っていく そういう活動の一環であった

のです。


イメージ 3



  以前紹介したのですが、私が幼児の頃、 奈良の歩兵連隊の行進する部隊の

後を追いかけて、 隣の村まで一緒に行ってしまい、帰ってこれなくなり、巡査の

おじさんに 送ってもらったお話しを紹介した事があったと思いますが、当時は

兵隊さんの規律正しい行進を見て、「 格好ええがな。」と、あこがれていたのを

思い出しました。


イメージ 6


 当時ですね、水兵の姿の子供服が流行していまして、 そう言う服装で訪れた

親子を見て、 目を細めたのを記憶しています。




イメージ 4
 


  ところで15時を過ぎた頃か、そんな時間帯に、「電光艦飾準備命令。」という

命令が発令されたのです。

 「 電光艦飾。」 と書いて 「 でんこうかんしょく。」 と呼びます。

どういう意味かというと、 電気の明かりで、 自分達の 八雲を飾る という

意味があります。

 これが高いマストの上に ロープを引っ張って、電灯を割れないように持って上

がってと言っても、 水兵や下士官が全部作業して、私達は見ているだけでしたが、

とても、とても まねをすると 大怪我をしそうな高所作業でありました。




イメージ 5




   夜になると、 ラッパ信号で、一斉にライトアップされ、 それはそれは、

  「 おーーう、きれいやのうーー。」 と周囲と語る程度、 きれいな光の

  電飾となって周囲を照らしたのです。


イメージ 7


  電飾というのは、 大正時代は、 お祝い事の祭日に、路面電車など電飾

  するのが当時流行していました。



イメージ 8


  こうして、名古屋での夜はあっという間に過ぎていったのです。



  【 明日に続く。】