第2551回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2019年1月25日金曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
一般の人達が 練習艦 八雲 【 やぐも 】を訪れたのです。
この 艦内展示と呼ばれる 民間人を乗艦させて、海軍をアピールする活動は、
日本海軍を宣伝し、 水兵などの志願者を作っていく そういう活動の一環であった
のです。
以前紹介したのですが、私が幼児の頃、 奈良の歩兵連隊の行進する部隊の
後を追いかけて、 隣の村まで一緒に行ってしまい、帰ってこれなくなり、巡査の
おじさんに 送ってもらったお話しを紹介した事があったと思いますが、当時は
兵隊さんの規律正しい行進を見て、「 格好ええがな。」と、あこがれていたのを
思い出しました。
当時ですね、水兵の姿の子供服が流行していまして、 そう言う服装で訪れた
親子を見て、 目を細めたのを記憶しています。
ところで15時を過ぎた頃か、そんな時間帯に、「電光艦飾準備命令。」という
命令が発令されたのです。
「 電光艦飾。」 と書いて 「 でんこうかんしょく。」 と呼びます。
どういう意味かというと、 電気の明かりで、 自分達の 八雲を飾る という
意味があります。
これが高いマストの上に ロープを引っ張って、電灯を割れないように持って上
がってと言っても、 水兵や下士官が全部作業して、私達は見ているだけでしたが、
とても、とても まねをすると 大怪我をしそうな高所作業でありました。
夜になると、 ラッパ信号で、一斉にライトアップされ、 それはそれは、
「 おーーう、きれいやのうーー。」 と周囲と語る程度、 きれいな光の
電飾となって周囲を照らしたのです。
電飾というのは、 大正時代は、 お祝い事の祭日に、路面電車など電飾
するのが当時流行していました。
こうして、名古屋での夜はあっという間に過ぎていったのです。
【 明日に続く。】