第2554回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
【 前話の続きより。】
1924年 大正13年10月 私達 海軍兵学校 第五十二期の少尉候補生
というか、見物して 名古屋港に戻る途中にある 熱田神宮に向かうことになって
行ったのです。
帰り道の途中に 神宮があるので 立ち寄ろうとか、そう言う感じでの
訪問であったようですが、 詳細は不明ながら、 司令長官の百武 三郎 海軍
中将の神宮好きの好みから、「 おぃ よっていこう。」 と、こうなっていったよう
です。
当時の 写真を紹介しますと、
この写真が 大正13年の当時撮影された 熱田神宮の写真です。
当時は、 ハトなどがたくさん とことこ 境内を歩いている そういう感じの
皇室所縁の神宮であったのです。
【 大正時代の鉄道の停車場 熱田神宮駅 】
戦後 名古屋の海岸は埋め立てが進みまして、現在 少し内陸に神宮が
建っている感じですが、私達が訪問した当時、 海岸線が内陸にあって、
海の近くに 熱田神宮があるという感じでありました。
剣が安置されていて、 武人が 武運長久を祈る神社として知られていた
のです。
ところで 以前紹介したのですが、幼少の頃から 国語の教師であった
父親の弥蔵に 古典をたたき込まれていた私は、平家物語の一節を思い出し、
「 草薙の剣 いうたら 壇ノ浦で 海に沈んだはずやがな。」と、喉まで出かかった
のですが、 不用意な言をろうして ひんしゅくを買ってはと思い、ずっと辛抱した
のを記憶しています。
【明日に続く。】