第2559回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
2019年2月2日土曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
【こおり ひでさぶう】海軍少佐【海大20期】が呼ばれまして、 当時の海軍大臣の
財部 彪 海軍大将から どう思っているのかと言う事について聞かれたそうです。
この事は、皇室の品位を保つ という事情で極秘扱いで、口外禁止となっていた
そうです。
そして 詳しく聞かれたのが 高松宮殿下の病名と、 その病状であったそうです。
山内 海軍中佐は、 病状の問について、「 殿下が、膝の下が腫れ上がり、
激痛を訴えられ、マッサージなどを施していても なかなか回復せず、歩行が
困難な事があるかと思えば、 日によっては、 その症状が出ない事も有り
ーーーーー云々。」 と報告したそうです。
そう言う症状があったと聞いておるが、 その他の症状はどうなのか。」 との
問に対して、 「艦が 波で 揺れが激しい時、激しい吐き気をもよおし、食が
細り、 やせ衰え、現在に至っているーー云々。」という報告がなされたそう
です。
航海にお連れするべきか、 お連れすべきではないのか。」 との問に対して
2人とも、 「 非常に困難を伴う。」 と 回答したとされています。
このような経緯で、 海軍大臣が熟慮して 発令した命令というのは、なんと
転勤命令であったのです。
長門に転勤命令を出したそうです。
こう言う経緯で 11月 と言う月は、海軍の中では転勤の季節で、多くの
に関係者に対して 転勤命令が発令され、 練習艦隊から 皇室関係者が
去っていったのです。
戦前は、この事件 極秘扱いとされ、 戦後は、 皇室一家に配慮して、報道も
されることはなかった事件でありました。
【 明日に続く。】