第2559回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2558話 日本海練習艦隊 高松宮殿下事件のその後のこと。



                           2019年2月2日土曜日の投稿です。





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   【 前話の続きより。】


  1924年 大正13年の11月初旬、海軍省海軍大臣室に 高松宮宣仁親王

殿下の皇室御付武官の 山内 豊中 海軍中佐 【海大15期】 と桑折 英三郎

【こおり ひでさぶう】海軍少佐【海大20期】が呼ばれまして、 当時の海軍大臣

財部 彪 海軍大将から どう思っているのかと言う事について聞かれたそうです。

この事は、皇室の品位を保つ という事情で極秘扱いで、口外禁止となっていた

そうです。

 そして 詳しく聞かれたのが 高松宮殿下の病名と、 その病状であったそうです。


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             【 大正天皇の第3子 高松宮宣仁親王殿下 】



 山内 海軍中佐は、 病状の問について、「 殿下が、膝の下が腫れ上がり、

 激痛を訴えられ、マッサージなどを施していても なかなか回復せず、歩行が

 困難な事があるかと思えば、 日によっては、 その症状が出ない事も有り

 ーーーーー云々。」 と報告したそうです。

 そうすると 財部 海軍大臣は、「 その症状は 貴様、兵学校に在校中から

 そう言う症状があったと聞いておるが、 その他の症状はどうなのか。」 との

 問に対して、 「艦が 波で 揺れが激しい時、激しい吐き気をもよおし、食が

 細り、 やせ衰え、現在に至っているーー云々。」という報告がなされたそう

 です。

 その報告を聞いて、 財部海軍大臣は、2人に、「 高松宮殿下を外洋練習

 航海にお連れするべきか、 お連れすべきではないのか。」 との問に対して

 2人とも、 「 非常に困難を伴う。」 と 回答したとされています。


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   このような経緯で、 海軍大臣が熟慮して 発令した命令というのは、なんと

 転勤命令であったのです。

 高松宮殿下 と、皇室御付武官 と、お付きの医務官、宮内省の関係者に対して

 長門に転勤命令を出したそうです。


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  こう言う経緯で 11月 と言う月は、海軍の中では転勤の季節で、多くの

 転勤命令のどさくさに紛れて、 練習艦 浅間 配属 から、 第一艦隊 長門

 に関係者に対して 転勤命令が発令され、 練習艦隊から 皇室関係者が

 去っていったのです。

 戦前は、この事件 極秘扱いとされ、 戦後は、 皇室一家に配慮して、報道も

 されることはなかった事件でありました。


 【 明日に続く。】