第2561回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2019年2月5日火曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
日本海軍の集合写真というのは、前列 中央に一番の先任 つまり部隊指揮官
が座って、 順番に先任番号に基づいて 次々ならんでいき 撮影が行われる
習わしになっています。
そういう事情で、上の大正13年撮影の司令部集合写真も前列中央
に百武 三郎 海軍中将がお座りになっていて、先任番号順に左右に
並び、 その後に 右から立って 撮影されているのがわかります。
私の場合、先任番号がほぼ中央なので、撮影すると 真ん中のよくわか
らない場所になってしまうと考えて、 あえて、「 ちょっと かわやへ。」
などと申立て、わざと少し遅れて、一番後の 中央 よく目立つ場所に
立つとにしたのです。
【 練習艦 八雲 やぐも 大正13年候補生集合写真 】
前列 中央が 一番先任の 赤塚 栄一 候補生です。
後の 白濱 栄一 候補生のことです。
どうですか、 一番後が よく目立つでしょう。
こうして 私達は集合写真を撮影していったのです。
【 練習艦 浅間 大正13年度 候補生集合写真 】
【 練習艦 出雲 いずも 大正13年度 候補生 集合写真 】
こうして 海軍では、何事も卒業時の成績の番号によって、相撲の番付
のようにならばされて 撮影したり、 物事を行って行ったり、すべてが
番号によって管理されていったのです。
当時は、目立つことばかり考えていて、 周囲から、「 またか。」と言われる
ことが多かったのです。
以前紹介したように、当時は軍縮で、多くの人が海軍を辞めさせられる
事が多かったのです。
ただ、ただ、 せっかく得た地位を保ちたかったのです。
もうーー奈良の葛城に戻るわけにはいかなかったのです。
【 明日に続く。】