第2562回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2561話 日本海練習艦隊 外洋練習航海へ出港のこと。


                            2019年2月6日水曜日 



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  【 前話の続きより。】


   記憶によると、 1924年 こと 大正13年の11月の10日のことであったと

  思いますが、 日本海練習艦隊の 八雲、 浅間、 出雲 の3隻は、横須賀

  鎮守府から、 一路 どこか知りませんが 行き先も告げず、私達海軍兵学校 

  第五十二期の少尉候補生や、海軍機関学校や、そして 海軍経理学校の少尉

  候補生を乗せて出港したのです。

 

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  当時、 私達の誰もが想像していなかったのですが、太平洋上で死人が出たり、

 重篤の病人が出るとは 思ってもいなかったのです。

 それは それは 苦難の始まりであったのです。



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   当時、 あっけらかんとしていた 私達は、 アメリカに海外旅行に行けると

  考えて、 多いに楽しみにしていたのです。

  大正時代の当時、 日本では、ガソリン車に乗ったり、海外旅行に行くなどと言う

  ことは 夢のまた 夢であったのです。

  それから 兵学校で洋食の食べ方の授業があったお話しを紹介したのですが

  当時、アメリカに行って 御馳走を食べて見たいと思っていたのです。



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    当時、 山城であったと思いますが 記憶が曖昧ですが、猿島からし

   らく 私達の艦隊を見送ってくれまして、 いつまでも帽子をゆっくりふって           

   「 ほなぁーー いってくるでぃ。」 と、 心の中で つぶやいていたのでした。



  【 明日に続く。】