第2563回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2562話 日本海練習艦隊 旗艦 浅間のこと。


                        2019年2月7日木曜日の投稿です。


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              【 当時の海軍大臣 財部 彪 海軍大将 】


   【  前話の続きより 】


  横須賀を出港した当時、 その出発前にどういうわけか 司令部が 浅間に

 移り、 旗艦が浅間になったのです。

 末端の少尉候補生であった私達には何も知らされず 理由はよくわかりません。


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     このページが 横須賀出港というページです。



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   この写真が少し不鮮明ですが、 浅間に 当時の海軍大臣 財部 彪

 海軍大臣が 訓示を行いにおこしになられた当時の答舷礼の写真です。


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   この写真が 少し不鮮明ですが、 旗艦 浅間に 海軍大臣 財部 彪

 海軍大将が乗艦され、 練習艦隊 司令長官 百武 三郎 海軍中将が敬礼を

 行われている写真です。

 どんな訓示であったのかは、私達は 八雲に乗り組んでいたのでよくわかりま

 せん。


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   この写真は 浅間の 回転砲塔の上から 横須賀港を撮影した当時の

  写真で、 みんなが 帽子を振っている最中の写真です。


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    この写真は、少し不鮮明ですが、答舷礼にて 私達の艦隊を見送って

    くれている写真です。


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  この海図は そうーー大変貴重な品物で 当時の大正13年当時の

  航路図です。

  おそらく、日本の国の中で 数枚程度しか残っていないと思いますが、

  
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   大正13年 11月10日に私達の練習艦隊は横須賀を出港して しばらくして

  大きな嵐に遭遇するのです。

  それは それは 艦が揺れるというか 傾斜しまして、 大変な事になっていった

  のです。


  【 明日に続く。】