第2564回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2563回 日本海練習艦隊 横須賀出港の夜のこと。


                              2019年2月8日金曜日の投稿です。



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   【 前話の続きより。】


  1924年 大正13年の11月10日 横須賀に 冷たい風が吹き出した頃、

 当時の海軍大臣 財部 彪 海軍大将 他、当時の高級将官達が大勢見送り

 に来ていただきまして、 私達海軍兵学校 第五十二期の少尉候補生を乗せた

 日本海練習艦隊の 浅間、八雲、出雲の3隻は、 ちょうど 正午に横須賀

 を出港しまして、 太平洋の外洋練習航海に出て行ったのです。


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  しばらくして、見送りの 戦艦 山城が 水平線に消えて、数時間進むと

 風が強くなり 艦が 前が上にあがって、 後が上にあがってと、揺れ出した

 のです。

 私は、「 国内巡航の練習航海で鍛えたので、なんの これしき だいじょうぶや。」

 と1人で そう思い込んで辛抱していたのです。

 艦内を歩いていると、もう 薄暗くなってですが、2人の主計将校の前で3人が

 四つん這いになっているのを見たのです。

 何やら 大声で怒られている風であったので、「 どないしたんや。」 と見ていると

 その2人の将校とは 主計分隊分隊長の中佐の下で働いていた 中村 貞助

 海軍主計大尉 と、 井上 虎雄 主計中尉の2人であったのです。


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  四つん這いになっていたのは、 当時、八雲に乗り組んでいた主計少尉候補生

では、一番の先任少尉候補生の安住 栄七 候補生と、 次の先任の今井 朝男

候補生と、 茶谷 東海 候補生でありました。

どうも3人とも、主計分隊の実務実習をしていて 机に座って そろばんを弾いて

書類の処理をしていて、 艦が揺れて 船酔いとなり、 吐き気をもよおし、大変な

思いをされている最中であったようです。


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聞いていると、「 なんだ 貴様ら、 これから まだまだ 揺れるぞ、しっかりしろ。」

と言いつつ、 はんば、「 こいつら 使い物にはならんな。」 という表情をして

ガミガミ 説教をされていたのです。

 ところで、 その人達の言う通り、 数時間後、 ものすごい 嵐のような暴風雨

となり、 通常は 艦の床が 前が上がって、後が上がって、前が沈むのですが

なんと横が右が上がって、 左が下がって、と、横に揺れ出したのです。

だんだん私達は気分が悪くなり、「 もうーーあかん。」 と船酔いになっていった

のです。



 【 明日に続く。】