第2565回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2019年2月9日土曜日の投稿です。
あれは そうーー 1924年 大正13年の11月11日のこと、つまり横須賀を
出港して1日程度進んだ海域で、私達は艦内にいたので どうであったのかは、
下士官や、水兵に後日聞いたのですが、 当日は 聞く事が出来ない程度、艦が
前後の波の動き以外に左右に横波を受けていたのか大きく傾きまして、沈むの
ではと心配する程度揺れたのです。
ちょうど 小笠原諸島の 東側の海域だったようですが、私達は当時
行き先も、今どこにいるのかもよくわからず、艦内で不安な時を過ごしたのです。
程度の大きな艦艇であったのですが、それが 大きく上下左右に揺れまして、
寝ている時も、大変であったのですが、起床した後も多いに揺れまして、だんだん
船酔いを訴える 候補生が続出していったのです。
上の大正13年、14年の練習艦隊写真帳に綴じてある写真を紹介しますと
【 大正13年当時の 八雲から 浅間を撮影した 艦首写真 】
この写真は、 前に航行するのが 当時の練習艦隊 旗艦 浅間
で、 中央に 八雲 しんがりに 出雲であったと思います。
当時、横から大波が艦に打ち寄せ、 艦の外に出るのは厳禁になっていた
のです。
どうしてかというと、外に出て 吐き気をもようしていたら、大波にさらわれる
からです。
そういう事情で、 狭い艦内で 誰かがげろを吐くと、その匂いが部屋に
充満しまして、 へんな匂いとなり、 その匂いで 別の人が吐き気を訴えて
いったのを記憶しています。
【 明日に続く。】