第2568回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2019年2月12日火曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
横須賀鎮守府を出港して太平洋上に出て3日目の午前中、 つまり
1924年の11月13日のことですが、だんだん艦内が蒸し暑くなって 少尉
候補生の間では、「 南方に進んでいるのではないか。」とか、「 イギリス領
オーストラリア方面に進んでいるのではないか。」 とか、そんな仲間内のヒソ
ヒソ話をしていたのですが、艦橋から どこに進んでいるのかまったく私達には
発表、告知がなかったのです。
天候が回復して、海上が穏やかにーーーなどと言っても、 瀬戸内の海と比較
すると 随分 凄まじい海面であったのですが 天測といって、 天体を観察して
自分の艦の位置を推定する実習が行われたのです。
上の海図は、1日当たりの移動距離を天測によって位置を推定し、点に表し
た図ですが、 横須賀を出て、海面が時化ていたので、移動距離がまったく
違うのが一目瞭然でよくわかる絵です。
当時は、日によって いろいろだったのですが、おおよそ お昼前とか、お昼過ぎ
あたりに 当直の係が この天測を行っていたのですが、実習で私達も何度も
「 よろしい。」が出るまで 実習を行ったのです。
これが なかなか難しい実習で、当時は電子計算機など無い時代で、鉛筆で
計算していたのです。
これが、 1人だけ 数字が違うと、何度も、何度も、それも全員連帯責任で
やり直しをさせられたのです。
この天測、戦後の今はこう言う方法があるのは知られていますが、衛星通信が
発達している現在では過去の測定方法になっています。
ちょうど 上の海図の矢印の場所で 私達は航路を変針しまして、アメリカ方向
に進んで行ったのです。
まっすぐ進んでいったら、 そうーー 南アメリカの どこかに着いたかも知れ
ません。
【 明日に続く。】