第2569回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2568話 日本海練習艦隊 取り舵弐拾のこと。


                           2019年2月13日水曜日の投稿です。 




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  【 前話の続きより。】


   1924年 大正13年の11月13日になると、 海面が比較的穏やかになり

 そして気温が上昇し、艦内が蒸し暑くなっていいったのです。


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  小笠原諸島の 東を少し南に進んだ程度の海域で、 私達の練習艦隊は

  変針点に達し、 転舵を行う事になっていったのです。


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  当時の日本海軍の艦隊の伝統というのは、司令部がある旗艦が先頭を航行

 することとなっていて、 その後に 随伴艦が続いて行ったのです。

 先頭を航行する艦艇は、マイペースで航行すればよいのですが、 後に続く

 艦艇というのは非常に練度を要求されたのです。

 というのが、下手をすると 衝突する危険が大きかったのです。

 前の艦と自分の艦の距離を保ち、 後の艦との距離を上手に保つことが

 非常に難しく、神経を使うことであったのです。



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 この手の衝突事故というのは演習中なと゛多く発生しています。

 一番初めに先導艦が航路を変える場合、信号旗をあげることになっていて

 問題は、この信号旗を濃霧などで見落としたり、受信できなかった場合、衝突

 事故が発生していったのです。

 
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  そういう事情で、航海科の見張り員は、だだ だた゛愚直に、自分の見たことを

 速やかに 当直の士官に大声で報告する。

 それを基に当直士官が艦の周囲の状況を把握して艦がどう言う方向に進む

 のかを決定するわけです。



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   今日のお話の変針点での 航路変更は 取り舵弐拾 なのですが、

  車のハンドルのように 舵を切りすぎると 転覆する危険があったのです。

  右に切る場合は、面舵【 おもかじ】 と言い、 左に切る場合は取り舵【とりかじ】

  と呼んでいました。

  信号旗を揚げて、後の艦に 面舵を知らせます。



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  その後、 当直士官が、「 取り舵拾 。」 と叫ぶと、 次々、「とーりーかーじぃ。」

  と復唱しながら 操作していくわけです。

  大変悪い例ですが、 取り舵九十などと、 ありえない話ですが、 車で言えば

  急ハンドルのような そういう行為を行った先、どうなるのかというと、艦内の

  荷物や乗員が遠心力が働いて 反対方向に飛ばされて、傾いてしまうのです。

  貨物船などで、こう言う行為を行うと、煮崩れを起こして、艦が傾斜して 回復

  できなくなる現象が発生し、転覆や、その後沈没に至るのです。

  そういう事情で、 艦艇というのは、急激な舵操作は厳禁で車と違い、ブレーキ

  が無いのです。

  氷の上の石ころのような物で、前が突然減速したりすると、 気がついて減速

  してもブレーキが無いので間に合わないのです。

  そして、 あれよ あれよという間に前の艦と後の艦が接触するという事故に

  なって行くのです。

  そう言うわけで、 前の艦と自分の艦の距離と、 後の艦との距離については

  必ず把握して操艦することが当たり前であったのです。

  それがわかっていても、濃霧などで視界不良が発生していたら、衝突事故

  などが頻繁に発生していたのです。


  【 明日に続く。】