第2570回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2569話 日本海練習艦隊 「八雲重篤患者発生ス。」のこと。


                         2019年2月14日木曜日の投稿です。





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   【 前話の続きより。】


    横須賀を出港して4日目に入った 1924年 大正13年の11月14日に

  なると、またまた天候が悪化して、 海が荒れまして、艦が大きく揺れていった

  のです。

  そしてさらに翌日の15日に入った時であったと思いますが、私達が乗り組んで

  いた 練習艦 八雲で 急病人の重篤患者が出たと言う事で八雲に乗り組ん

  でいた 3名の軍医だけでは手におえず、浅間の軍医を応援で呼び寄せると

  言う出来事が発生していったのです。


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  ちょうど 南鳥島の東南の海域だったと思います。

  当時、 八雲には 3名の軍医が乗り込んでいて、 軍医長 豊田 實 軍医

  少佐と、小田島 祥吉 軍医大尉と、野瀬 房雄 軍医中尉の3名であった

  のですが、 どんな病気だったのか、 詳しい話は私達には何も説明がなかった

  のです。

  簡単に応援を呼ぶといっても それはそれは 命がけの大変な事でありまして

  外は 天候が悪く 荒れ狂う太平洋で、短艇などではひっくり返ってしまうため

  どうしたのかというと、 八雲と 浅間が速力10ノットで並走して、ロープを

  渡して 浅間と八雲にロープの滑車を取り付けて、軍医殿を滑車で乗り移って

  もらうわけです。

  その軍医殿というのは 練習艦 浅間の 軍医長 内田 尊夫軍医少佐殿で

  艦が大波で揺れて ロープが切れて 転落でもしたら 死があるのみという

  恐ろしい 綱渡りであったのです。

  そのような事までして 浅間から 内田 尊夫 軍医少佐殿を呼ぶというのは

  よほど何かあったようですが、 私達には何も説明や告知はなかったのを

  記憶しています。


  【 明日に続く。】