第2575回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2018年2月19日火曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
という行事がありまして、 その日の午後になってからですが、私達が乗り組
んでいた練習艦 八雲【やぐも】では、音楽の放送が始まったのです。
当時、「 何がはじまったんかいな。」と、周囲とお話ししていたのを覚えています。
神奈川県の横須賀鎮守府を出港しまして そうーー7日後のことでした。
みんな 大きな艦の揺れで気力が途切れそうになっていたところに、 演習があり
まして、 武人を励ますような 勇ましい音楽がスピーカーから流れて来たのです。
演習もそうですが、 音楽放送の開始も、後々にみんなで語り合って思い返すと
当時の八雲の艦長 鹿江【かのえ】 三郎 海軍大佐の気配りであったと思ってい
ます。
「 みんな 頑張れ、 へこたれるな。」 と言う 艦長の心遣いだったようです。
当時の八雲には そうーーいろんな特技を持った人が多数乗り組んでいま
して、 音楽を演奏して流してくれたのです。
ただ 残念な事に 戦後の高性能スピーカーと違いまして、当時のスピーカーと
いうのはどんな風であったのかと言うと、 こうー、木で 四角い箱が組んで
あって、雑音が大きかったのを記憶しています。
「 ザァーーーーー。」 という雑音の中に 音楽が聞こえるという感じであった
のですが、勇ましい音楽は私達の心の支えになったのです。
【 明日に続く。】