第2575回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2574話 日本海練習艦隊 練習艦 八雲 軍楽放送のこと。


                        2018年2月19日火曜日の投稿です。




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  【 前話の続きより。】


  1924年 大正13年の11月17日 日本海練習艦隊 第1回基本演習

 という行事がありまして、 その日の午後になってからですが、私達が乗り組

 んでいた練習艦 八雲【やぐも】では、音楽の放送が始まったのです。

 当時、「 何がはじまったんかいな。」と、周囲とお話ししていたのを覚えています。



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  神奈川県の横須賀鎮守府を出港しまして そうーー7日後のことでした。

 みんな 大きな艦の揺れで気力が途切れそうになっていたところに、 演習があり

 まして、 武人を励ますような 勇ましい音楽がスピーカーから流れて来たのです。



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【 当時の 練習艦 八雲 艦長 鹿江 三郎 海軍大佐 後の逗子開成中学 校長】


  演習もそうですが、 音楽放送の開始も、後々にみんなで語り合って思い返すと

 当時の八雲の艦長 鹿江【かのえ】 三郎 海軍大佐の気配りであったと思ってい

 ます。

 「 みんな 頑張れ、 へこたれるな。」 と言う 艦長の心遣いだったようです。


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    当時の八雲には そうーーいろんな特技を持った人が多数乗り組んでいま

  して、 音楽を演奏して流してくれたのです。

  ただ 残念な事に 戦後の高性能スピーカーと違いまして、当時のスピーカーと

  いうのはどんな風であったのかと言うと、 こうー、木で 四角い箱が組んで

  あって、雑音が大きかったのを記憶しています。

  「 ザァーーーーー。」 という雑音の中に 音楽が聞こえるという感じであった

  のですが、勇ましい音楽は私達の心の支えになったのです。


  【 明日に続く。】