第2576回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2575話 日本海練習艦隊 日付変更線に近づくのこと。


                       2019年2月20日水曜日の投稿です。




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   【 前話の続きより。】


   艦内のスピーカーで、音楽が流れ始めて、その翌日、 横須賀鎮守府

 出港して 8日目に入ると、 だんだん天候が悪くなりまして、 艦の揺れが

 大きくなっていったのです。



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   そして さらに1日過ぎて 9日目に入ると 海が荒れまして、 また船酔いに

  なって、 それが重なり、食欲が無くなり、 体調を崩す候補生が増えていった

  のです。



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    そして 10日目に入ると 天候は随時回復し、 こんどはかんかん照りの

   夏日のような 暑い日になっていったのです。

   ちょうど 私達は ミッドウェイ島の南付近を航行していたようです。



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  この海域、 昭和17年6月5日に私がアメリカ軍の急降下爆撃機の攻撃で

 航空母艦 赤城が炎上し、 艦橋から退避するときに爆発に巻き混まれて重傷

 を負った翌日、 当時の連合艦隊 首席参謀 黒島 亀人 海軍大佐らが、巡洋艦

 部隊でのミッドウェイ島砲撃作戦を立案し、実行されていったのですが、運が悪く

 アメリカ海軍の潜水艦に遭遇し、 回避運動中に 巡洋艦 三隈 と 最上が衝突

 し、 その後、 ミッドウェイ島からの空爆を受けて 沈没するという事件に発展して

 いった そう言う海域でありました。


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   後に、 レイテ沖海戦の謎の反転離脱で、私が、「 なにを しとるんやっ。」 

  と 激怒することになっていった、栗田 健男 海軍少将が この艦隊の指揮官

  で、 衝突した三隈 と 最上を 置いて 2隻の巡洋艦を連れて 撤退してしま

  った事件としても知られている 海域を当時通過していたのです。

  19年の後に こんな事が発生するとは 当時は 知るよしも無かったのです。


  【 明日に続く。】