第2587回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
2019年2月22日金曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
「 子午線祭りとは、なんやねん。」 と、 大正13年11月当時 私は思ったの
ですが、不用意な言を労して 制裁訓練を申しつけられてはまずいと考え、ぐっと
喉まで出かかった言葉を飲み込んだのです。
ミッドウェイ島の手前に 子午線と書いて、「 しごせん。」 と当時読んで
いたのですが、戦後で言う、日付変更線を越えるという意味合いの事を当時
は、子午線を越えると海軍ではそう表現して言っていたのです。
映画などで、 「日付変更線を越える。」 と表現すると、厳密には 当時の
日本海軍の言い方では無いと言う事になります。
それでは、「子午線とは何か。」 と言う質問があると、みなさんはどう回答され
ますか、 当時の 甲解答は次の如しでありました。
「 子午線【 しごせん】とは、球体の地球を北極点、南極点で結んだ縦軸の
楕円形のことであります。」 と回答するのが 甲解答でありました。
それでは「子午線祭りとは何か。」 と 質問されると、「 それは初めて艦艇
勤務となった帝国海軍の兵士が子午線を越える時に行う無事航海終える事を
祈願する儀式であります。」 と 回答するのが正しい甲解答でありました。
ことが初めての人も参加する事が命令され、絶対甲板に上がって祭りに出る事
を命じられたのです。
そのような事情で、私達は甲板に整列して 子午線祭りなる行事に出る事に
なっていったのです。
「 何が 始まるんかいな。」 と、 待っていると、 艦が ぎぎぃーーーと揺れ
まして、「 おーーーとっとっと。」 と整列し直すと同時に神主の姿をした下士官
が出て来たのです。
【 明日に続く。】