第2588回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2019年2月23日土曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
横須賀鎮守府を出港して 10日目の 1924年 11月20日の午前9時30分
子午線 と 当時呼ばれていた、 戦後で言う 日付変更線を越えていったのです。
ちょうど 子午線を越えると思われる時間帯が 午前9時30分頃であったので
初めて子午線を越える将校、下士官、水兵が甲板に集められて、180度線
通過経度祭りが行われたのです。
【1924年 大正13年 11月20日 午前9時30分頃撮影 浅間での様子 】
そのお祭りというのは 当時 旗艦であった 浅間、 そして私達が乗り組んで
いた八雲、 そして 源田 實 候補生達が乗り組んでいた 出雲とで別々に艦上
にて行われていったのです。
で出て来るような 棍棒を持った鬼に変装した姿で甲板に姿を現し、手桶にロープを
巻いて、 海水をくみ上げ、 初めて 子午線を越える将校から 1人ずつ、神主が
御祓いをして、航海の安全祈願を行った後に、 鬼に変装した下士官が、頭の上
から手桶で海水を 「 ばしゃーーん。」 とかけていく行事が行われていったの
です。
当時、 私達は 知らない海軍の風習に、 「 ほーーう、 こないなことを
おこなうんかいな。」 と、 自分の順番がくるのを甲板に整列して待っていた
のです。
【 明日に続く。】