第2589回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2019年2月24日日曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
宮司の子息なのかよくわかりませんがなかなか本物とほとんど変わらない程度
作法が上手でありまして、 私達は180度線の子午線を通過する儀式を甲板の
上で行事を行って行ったのです。
後にいろんな同期や、先輩、後輩に聞いて見ると、 その艦、その艦で
やり方が違うそうです。
そもそも 子午線通過行事は、西洋人の船乗りの儀式だったそうで、それを
模倣してやるようになっていったようです。
聞いたところでは、 仮装大会をする艦や、 武道の神前奉納を行う艦や、
いろんなパターンがあったそうです。
【 練習艦 浅間にて 仮装大会記念写真 】
上の写真は、練習艦隊の旗艦 浅間での 仮装大会の記念写真です。
こうみますと、機関室に降りて行って、 石炭で顔や体を黒くして 南方
の原住民に扮している候補生がいます。
こうすると 小道具など揃えるのがたやすく、やりやすい仮装であったの
です。
【 練習艦 八雲 仮装大会 記念写真 】
何に扮してもよいのですが、 他の乗組員が大笑いする程度 強烈な
個性と、笑いを誘う愛嬌が大切でありました。
誰が よかったかは、見ている人が決めるわけで、 土人ばかりが多く、
土人に仮装する候補生は 甲、乙、丙 の丙でありました。
つまり、 簡単な反面、評価が低かったのです。
しかしながら、艦内の道具で それらしく仮装するわけで、限界があった
のです。
そういう制限の中で、 「 ほうーーーー、 すばらしい。」と みんなが思う
工夫をする事が評価につながっていったのです。
だけで、私達は 吐く物も無くなり、食欲が無く、 早くどこかの港にとりあえず
入港してくれないかと、太陽に向かって頼み事をしていたのを記憶しています。
【 明日に続く。】