第2590回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2019年2月25日月曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
1924年 大正13年の11月20日 午前9時30分頃 私達の部隊を乗せた
練習艦 八雲は 戦後で言う 日付変更線、 当時の呼び名で子午線を通過して
その場所で 無事安全を祈願する 子午線通過祭りを行ったのです。
当時、 日本では季節は秋で、横須賀を出港する時は冷たい風が吹いて
いたのですが、だんだん夏に逆戻りしていった、そんな感じでありました。
して ちょうど そのガードナー環礁という岩場の南側を通過した段階で、熱帯海域
に 練習艦隊は入って行ったのです。
なにが大変であったのかというと、水でありました。
夏日になると気温が上昇し、喉が渇きます。
当時、 1日1人当たり真水の配給は三合までとなっていて、この三合で
洗濯まで行う事になっていたのです。
そうすると、ほとんど水は飲めなかったのです。
当時、 外国に行けると聞いていて 楽しみにしていたのですが、だんだん
行き先も告げられず、 どこに連れて行かれるのかわからず、だんだん生活環境
が悪化していき、 精神的に 少尉候補生は追い詰められていく人が多かったの
です。
【 明日に続く。】