第2591回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2019年2月26日火曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
横須賀鎮守府を出港して 14日目 ガードナー環礁という岩場の西の
海域を通過して、しばらく進んだ海域での出来事でありました。
1924年 大正13年11月24日に、見張員が、「 旗艦より信号旗上がるーー。」
と 大声で叫んだのです。
当時の練習艦隊では、 信号や電文は カタカナで わかりやすく、誰でも
読めるように書くことが決まりでありました。
「 ワレ アサマ ホノルルニ ムカウ ヤグモ イズモ ハ ヒロニ
ムカワレタシ。」
そうすると 必ず、「ワレ ヤグモ ジュシン セリ。」 という意味の旗を
掲揚して、八雲から 旗艦 浅間に 信号を返信するわけです。
それと同時に、 後の艦、 つまり 源田 候補生らが乗り組んでいる 出雲に
前の 旗艦 浅間 から受信した 電文を 再度 信号を送るわけです。
「 ワレ ヤグモ アサマ ホノルルニ ムカウ ヤグモ イズモ ヒロニ ムカワレ
タシ。」 と こんな感じに 後の艦に、 そして さらに 後続の艦がいる場合は
同様な連絡を行って行ったのです。
見張員は、ただ だだ 愚直に、見張士官に 見たことを大声で報告する。
当時、伝声管という パイプのような管があって、 当直士官は必要と判断した
事柄を 伝声管で 下の艦橋の 当直士官に報告することになっていたのです。
沖合で浅間が 分離して オアフ島に向かい、 八雲、出雲の2艦は、ハワイ
島のヒロ という港に向かっていったのです。
甲板の下の 暗い部屋で 船酔いに苦しんでいた私達はどこに向かっているの
か連絡も無く、 知らされず、 当時は行き先はわからなかったのです。
【 明日に続く。】