第19回  日本海軍巡洋艦 熊野 2011年12月10日就役

 読者の皆さんこんにちは、北の方から冷たい風が吹いて、大変寒いです。


今日は、天気は、晴れていたので、
 
外で船底のスプレーを吹いたのですが、乾かしていたら、風で飛んで、泥が付着

してしまい、やり直しになってしまいました。

ヒィー、最悪。

となりの家のおばさんが、また馬鹿息子が、スプレーを吹いていると、冷たい視線。
 
家の中で、スプレーをすると、シンナーくさくなるし、外でスプレーを吹くと、寒いし、

今日のようなトラブルになるし、なにか良い方法は、ないものかと思います。
 
 気分を変えて、おやつにしました。今日は、ブラックのコーヒーに、4個で100円

のエクレヤです。



 
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ブラックの苦いコーヒーと一緒にいただきます。
 
エクレヤが、甘いので、ブラックコーヒーと一緒に飲むと中和して、ちょうど良い味

加減になります。
 
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今日のご紹介の模型は、第7戦隊 旗艦 熊野の紹介です。 

今日完成して、ホヤホヤです。
 
巡洋艦 熊野は、昭和11年10月15日に進水しました。
 
艦長は、西村祥治大佐、その後のレイテ海戦で、西村戦隊を率いて戦った、西村

司令長官でした。
 
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主砲は、155ミリ3連装砲を5基搭載し、左右に2基ずつ、合計4基の魚雷発射管

を備えていました。
 
速力は、駆逐艦と同程度の35ノットと高速で、三重県熊野川から、名を取って、

命名されました。
 
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          水上偵察機は、3基搭載し、世界最高水準の巡洋艦でした。
 
栗田少将が、司令長官を務める、第7戦隊の旗艦を務め、ミッドウェイ海戦では、

島を砲撃する為、戦隊は、進撃していましたが、南雲中将の空母部隊が、全滅し、

翌日に、敵艦載機に、空爆され、最上、三隈が大破し、撤退しました。
 
大戦中、主要な戦いに、出陣しましたが、最後は、敵艦載機の集中攻撃を受けて、

魚雷6本、爆弾10発の命中弾をうけて、戦没しました。弁慶の立ち往生の様な

最後でした。
 
2日程度で、くみ上げて、塗装しました。砲塔が、3連装の為、鈴谷の2門砲塔より、

格好が良いと思います。
 
キットは、組みやすく出来ていて、安心して、組み立てられました。
 
水上機のフロートが、いつもはつきにくいのですが、凹凸がつけてあるため、接着

しやすかったです。
 
これで、また、巡洋艦が、1隻増えました。 

読者の皆さんも良い週末の夜をおすごしください。