第29回 レイトンハウス F1 赤城社長を偲ぶ。
読者の皆さんこんにちは、今日は、テクテクと歩いて帰る途中で、近所のスーバーに立ち寄って、下の画像の
おむすびをひとつ50円で買って、自宅に戻りました。
昨日の鮭おむすび茶漬けが、美味しかったので、今日はこの博多辛子明太子で、実験してみます。
昨日のように,外側を取って、おむすびを中において、ノリを手でちぎって。ぱらぱらと、振りかけて、
熱いお茶を上からかけます。
こんな感じになりました。 食べてみると、結構辛子がきいて、美味しいです。
皆さんも、低価格で楽しめますので、一度やって食べてみていただけたらと思います。
今日のご紹介する、古本は、今から約25年ほど前の、F1の雑誌の特集号です。
この水色のマシン、知っている方は、なかなかのF1通です。
興産の赤城社長が、経営されていた、F1チームのマシンです。
日本人が、だれもF1に見向きもしなかった頃、イギリスのマシンコンストラクターのマーチ社を買い取ってF1に
挑戦しました。
言葉もわからない土地でのだれもやったことのない挑戦です。
しばらくして、ホンダやいろいろな車メーカーが、F1に進出しました、低予算のF1チームでしたが、空力の先端
を追求したマシンは、路面がバンピーでないコースでは、ホンダのターボマシンに迫る早さを見せました。
レイトンハウスの設計者です。 私は誰でしょう、当てた人は、よほどのF1通です。【回答は末尾】
1位2位を独占していた頃、エンジンはジャッドEV V8エンジン3500㏄を搭載し、ホンダのエンジンの3分の2
程度の出力しかパワーがありませんでしたが、得意の空力で、速度が速いマシンでしたが、コーナーの速度が、
いまいちでした。
しかし、フランスのポールリカールサーキットの直線が多い、高速コースでは、2位に入るなど検討しました。
当時、年間35億の資金をF1に投じていた、赤城社長、日本の自動車メーカーもしていない、F1挑戦をしていた
ことは、同じ日本人として、尊敬に値します。
バブルが崩壊して、レイトンハウスF1は、姿を消すことになりましたが、このチーム、いまだに、F1の基礎ともい
アン、ニューウェイーです。 彼は、若い頃から、頭が薄かったのです。
赤城社長が、当時、実績も何もない、20代の彼をチーフデザイナーに抜擢、先見の目があったと思います。
筆者は,挑戦という意味で、このレイトンハウスのマシンの模型を見て、赤城社長のように、物事に挑戦しようと
思いを新たにしています。結果はどうあれ、挑戦していく姿勢、大切なことだと思います。
最近は、誰も見向きをしなくなったF1マシンですが、人々の夢と努力が結集したマシンでした。
写真の画像のドライバーは、イワン、カペリという、イタリア人のドライバーで、感覚で走るというか、リズムで走る
という感じの天才肌のドライバー。
感覚と、リズムが合うと、セナより速かったそうです。
この模型を見て、レイトンハウスの赤城社長のように、新たな挑戦を計画し、実行していきたいと考えを新たにし
ました。
長期の目標を立てて、日々努力していく、難しいですが、大切なことだと思います。