第84回 病気一次回復
みなさん、こんばんは、2012年2月25日土曜日の投稿です。
月曜日に、寝床で目が覚めて、起きようとしたら、背中に激痛が走り、起きれなくなり、歩けなくなったのですが、
背骨の下の尾てい骨から、20センチほど上の左側が痛くて、痛くて、「ひいー、ひいー。」言っていたのです。
二日めも痛みが治まらず、自分で歩けないため、どうしたものかと考えていたら、大仏様が、「年寄りがよくなる
ヘルニアになるような年齢でもないし、このあいだ、肝臓ガンで死んだ人が、同じようなことを言っていた、肝臓に
悪性腫瘍が出来て、背骨の神経をあっぱくしているのだろう。」と、言うので、「ひいーーーーーガン。」と思い、翌
日病院に行くのも、歩けないのでいけないし、そのまま、寝ていたら、3日後には、少し痛みが緩やかになり、4日
目には、何とか自分で杖をついて歩けるようになりました。
他界した元海軍陸戦隊の祖父の杖がここにきて、大活躍で来週でも、杖をついて病院に検査に行ってみようと
思います。
どうも、背骨の左側の縦の筋肉が、筋肉痛のような痛みで、おなかの腹筋が、伸ばせないので、背中を年寄りの
人のように曲げていないと痛いのです。
皆さんから、心配とお見舞いの投稿をいただきまして、御心配をおかけしてしまい、ありがとうございました。
当分、静かにして、安静にして、寝床ですごして、外出は無しで、様子を見てみようと思います。
今日は、数日ぶりに、ブラックコーヒーとドーナッのおやつをいただくことにしました。
観音様のお話によると、近所のスーパーで、ひとつ40円だったそうで、砂糖がついて美味しそうです。♪
本日の模型の紹介は、2月20日、月曜日に紹介予定の画像をのせさせていただきます。
空母 大鳳は、空母の欠点の、飛行甲板のもろさを改善して、500キロ爆弾の攻撃でも耐えられるように、装甲
板で覆い、その上に、板を並べた飛行甲板でしたが、重量増加で、格納庫が、加賀に比べて、1段少なく、低い
重心の作りになっています。
不沈空母として、期待を集めて就役し、機動部隊の旗艦として、小沢中将が座乗して、指揮を執りました。
艦橋は、隼鷹の運用で、評判のよかった斜め煙突の大型艦橋をさらに進化させ、広い艦橋で、司令部要員も
多数収容でき、いままで、小さく、窮屈な艦橋であった 日本の空母中では、評判が上々で、大型レーダーを登
載して、防空能力を向上させていました。
攻撃のため、発艦作業中、上空を旋回していた、彗星爆撃機が、一機、潜水艦からの数本の魚雷を発見、
みんな、帽子を振って甲板の飛行機を見ていたせいか、誰も気づかず、彗星は、無線封鎖もあり、連絡できず、
果敢に魚雷めがけて、水面に突っ込んで、爆発し数発を誘爆させ、大鳳の見張りが気づき、回避運動をして、
舵を切りますが、魚雷1本だけ側面に命中し、ガソリンタンクに、ゆがみが生じて、後部のエレベーターが、故障
して、あいたままになります、着艦出来る様に、上部を板で覆って、ふさいだため、気化ガスが、艦内に充満して
意識を失う船員が続出し、何かの火が引火して、大爆発を起こして、沈没しました。
アメリカの空母のように、飛行甲板下をシャッターにして、解放できるようにしておけば、側面に抜けるため、よい
のですが、全体を鉄で囲んだため、ガスが充満して、抜けるところがなく、一気に内部で爆発し、上は装甲板の
ため、2カ所のエレベーターが、吹き飛んで煙突のようになって、多くの犠牲者が出たそうです。
小沢司令長官は、唯一残っていた、艦橋左側面のボートで、1番はじめに脱出して無事だったそうですが、敵の
潜水艦に撃沈されてしまった最新鋭空母でした。
でも、上空から、彗星に乗って、発艦後、上空を旋回していて、魚雷に体当たりして、艦を救おうとした、小松兵曹
他の2名の搭乗員の勇気には、感動しました。
さすがは、勇敢な責任感の厚い、皇軍兵士、軍神です。
す。