第19回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第18話、我、海軍兵学校の受験情報を収集ス。 2012年2月26日 日曜日投稿。
 
翌日も、二見ヶ浦の浜辺で、沖合に小舟を浮かべて、浜と往復する水練が始まった、今日の小舟と、砂浜の距
 
離は、すこし伸びて、200メートル程か、みんな出席者は、おなかがすいているのと、筋肉疲労とでバテ気味で
 
あったが、男、淵田美津雄、気合いを入れてがんばった、脳裏に敏恵さんの「淵田くん、がんばって。」なんてこ
 
とを想像しながら、小さな声で、「よーゆーこーれ、よーゆーこーれ。」と、がんばり、夕方になり、解散し、不断寺
 
の海軍士官の部屋にノートと鉛筆を持って直行した、そこで、前日のごとく、海軍士官2名から、色々と体の具
 
合、思うことを色々と聞かれ、こちらからも、海軍兵学校とは、どのようなところか訪ねてみた。
 
阿部中尉から、「先日も言ったように、受験資格は、16才から、18才で入ろうが、何歳で入ろうが、第46期の場
 
合は、46期、みんな同じ扱いをされる。年は関係ないのだ、但し、成績順で区別される、首席は、第1分隊の1
 
番、次席は、第2分隊の1番、3席は、第3分隊の1番というように、振り分けられていき、我々の時は、全部で、十
 
分隊に分かれていて、1分隊32人、1番年上の生徒4年生は、1号生徒と呼ばれ、成績順に8名、3年生は、2
 
号生徒と呼ばれ、これも成績順に8名、2年生の3号生徒は、同様に8名、1番年下の4号生徒も同様に8名、合
 
計32名で1個分隊を構成する。
 
この32名の中の1番成績の良い生徒が伍長【ごちょう】と呼ばれ、分隊を監督する、2番目の生徒が、伍長補
 
【ごちょうほ】と呼ばれ、伍長の生徒の補佐をする。
 
分隊の上に分隊幹事と呼ばれる将校がおり、階級は、少佐及び大尉であり、指図に従う、試験の成績で、机
 
が入れ替わり、誰が出来が良くて、誰が出来が悪いか、一目瞭然でわかり、海軍兵学校を、何番で卒業したか
 
で、将来の出世がも決まってしまう、こんな厳しい世界だ。」と、話しがあり、急いでメモして阿部中尉の話に聞き
 
入ったのであった。
 
【次回に続く。】