第51回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語。】

第50話 中学の卒業式   2012年3月29日 木曜日投稿。
 
大正9年の3月15日であったかと、記憶しているが、奈良県立畝傍【うねび】中学校を無事卒業した。
 
卒業式の前日、仕事で、大阪に出て行く生徒、京都に出て行く生徒、三重や、名古屋に出て行く生徒、 地元の
 
奈良で、商家に、奉公に行く生徒などとは別に、帝大などや、医大に行く事が決まった生徒ばかりで、自分は、
 
なにも決まっていなかったので、寂しい思いをした。
 
海軍兵学校の試験は、どういうわけか、7月に行われるため、まだこれからである、考えて見れば、昨年、海軍
 
兵学校の試験を受けて、合格していれば、中学を中退して、入学できたのであるが、人生急がば、まわれで、自
 
分だけ、進路が、決定していなかった。
 
悪童、堀内は、家が貧しいので、海軍兵学校の受験をあきらめて、大阪の電気工事会社に奉公が決まったら
 
しく、卒業したら、仕事をするために、大阪に出るという。
 
ずいぶんといたずらをされて、「タコ、タコ。」と呼ばれて、大変であったが、大阪に行ってしまうと、寂しい感じがし
 
た。
 
卒業式の後、クラスのみんなで、記念に写真屋のおじさんを呼んで、記念写真を撮った。
 
中央に、先生がすわり、何回も、「こちらをむいてください。」と言われて、やっと撮影が終わり、職員室に行って、
 
お世話になった先生に、挨拶してまわった。
 
このときに、「淵田君、がんばりなさい。」とか、「国のために奉公しなさいとか。」「忠義を大切にしなさいとか。」
 
色々と、先生方に、声をかけていただいた。
 
正月から、雑事に追われて、勉強が、時間が取れず、あまり進んでいなかったのであるが、ふと、校門の入った
 
ところの、二宮金次郎の たきぎを束ねて、担いで、歩きながら、本を読んでいる姿を見て、勉強しようと思え
 
ば、どのようにしても勉強が出来ると、悟り、校門を後にしたのであった。
 
【次回に続く。】