第114回  昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第113回  松茸をもらう。                        2012年5月31日  木曜日投稿です。
 
写真屋から、写真をしぶしぶ受け取って、家路を歩いていると、大山の新聞屋の前に来た、奥さんと顔があって、
 
奥さんが、おいでおいで、と手振りをするので、「こんにちは。」と、中に入ると、「淵田君、もらい物で、たくさんあ
 
るから、すこし持って帰りなさい。」と、言って、松茸を分けてもらった。「あんたは、休まず来てくれるので、助か
 
るわ。」と、奥さんが言ってくれたので、照れくさかったのであるが、3個いただいたのであった。
 
家に帰って、母親に、「松茸をいただいた。」と話すと、「まあーそうー。」と返事があったのであるが、どうも
 
しんどそうである。
 
今から思えば、いくら原始的な医療の時代とはいえ、もっと大きな、東京の病院にでも行って、入院して、養生
 
してもらえば、良かったと思うのであるが、本人も病院にいても一向に回復しないので、家がよいと言って、
 
帰ってきたのであったが、子宮筋腫などは、薬で治るわけがない。
 
藪医者の調合した、高い薬を買わされて、腹が立つが、仕方がなかったのであった。
 
夕食時に、包丁で、半分にして、半分を吸い物にして、半分を、金網の上で焼いたのであった。
 
松茸は、当時は、どこの山でも、だいたい取れたのであるが、山を持っていない、淵田家では、松茸は、そんな
 
に食べられず、年に数回程度であったかと思う。
 
父親も、母も喜んで、夕食時に松茸を食べたのであった。
 
【次回に続く。】