第136回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第135話  陸の戦艦日本に部隊創設サル。                     2012年6月24日 日曜日
 
大正10年の年頭の新聞に、陸の戦艦部隊と題した記事が目にとまった。
 
大正8年まで、ヨーロッパは、第一次世界大戦の最中で、飛行機だのタンクだの、毒ガスだの、いろいろな兵器
 
が使用された、タンクもそのひとつで、イギリスは、ホイペットというタンクを作り、戦場に投入し、ドイツの陣地を、
 
攻撃し、400人以上も、射殺するという、大きな戦果を上げていた。
 
日本は、火事場泥棒のように、イギリスとの同盟を名目に、中国のドイツ租借地サイパンなどのドイツの植民地
 
の島を攻略して、占領して自分の領土にしてしまった。
 
ヨーロッパの戦場にも、視察団を派遣して、最先端の兵器の研究には、余念がなかった。
 
  報告書を見た、陸軍参謀本部は、毒ガスの研究、タンクの研究、飛行機の研究を急いで、遅れてならじと、
 
大正9年から、始めたのであった。
 
 
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                          【大正11年当時の千葉教導隊での走行訓練の写真 模型公園蔵】
 
はっきり言うと、イギリス軍の不要になった、中古タンクを法外な高値で、日本陸軍は買わされたわけである。
 
当時は、戦車という言葉はなく、タンクという言葉で表現されていたのであるが、大正9年に、陸軍は、イギリスか
 
ら2両のホイペットタンクを輸入し、又フランスからも、数両ルノータンクを輸入し、千葉県の歩兵学校の中に、
 
タンクの運用を研究する、教導部隊を大正10年より、始動させたのであった。
 
この年、新聞を賑わしたのが、不景気の恐慌の中、イギリスから、タンクを大量に輸入すべし、という、イギ
 
リスの商社から、黒いお金を受け取って暗躍する、政治家、軍人と、国内の財閥から、黒いお金を受け取って、
 
暗躍する、政治家、軍人の争いが、激しさを増したのであった。
 
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                                  【福岡工業博覧会に展示されたタンク  模型公園蔵】
 
山縣有朋系の軍人、政治家は、イギリスからの輸入を叫び、海軍の山本権兵衛系の軍人、政治家も、長年
 
のイギリスからの軍艦輸入の実績のある業者からの要請で、輸入容認派として、動いていたのであるが、
 
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      【第1次世界大戦のイギリスとフランスの中古戦車から、日本陸軍戦車部隊は始まった。】
 
反対に、原総理大臣の系列の、政治家などは、イギリスの中古の兵器を高く買わされても、浪費であると
 
主張し、お金を外国に流失させずに、国内の産業育成の為、日本国内の大阪兵工廠での製造を、主張してい
 
たのであった。
 
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            【千葉歩兵教導部隊での撮影、当時のタンクは、回転砲塔はなかった。】
 
よくも、悪くも、日本陸軍のタンク元年とも言うべき出発の年で、試行錯誤の、陸軍戦車部隊が、制式に
 
大正10年より、スタートしたのであった。
 
新聞記事を見た、父のやぞうは、「美津雄、この鉄の陸の戦艦に乗っていれば、戦死しないでも、大丈夫
 
だなー。」と、大山の新聞店の奥さんからいただいた、豆持ちを焼いて、醤油をつけつけ食べながら、話すので、
 
「どれにしても、大砲の弾が命中したら、終わりだよ、父さん。」と返事をすると、父が、「そうかーーー。」と
 
一人で考えこんでいたのを覚えている。
 
【次回に続く。】