第237回 日本陸軍1式中戦車を偲ぶ。

みなさん、こんばんは、模型公園です。♪                  2012年7月30日 火曜日の投稿です。
 
今日は、模型公園の家の中は、36度でした。
 
 寒いより、暑い方が好きなのですが、えっ、理由、風邪引いて、熱が出ないからです。
 
今日は、食欲が少しないのですが、がんばって作りました。
 
   
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                     今日は、子持ちイカを300円で買ってきました。
 
 
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                   今日は、生の切り昆布のお味噌汁を作って見ました。
 
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                               それと、混ぜご飯とね。
 
 
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                          大きいので、頭部を斜めにカットしました。
 
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                             中は、こんな感じで、卵が詰まっています。
 
 
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                        今日は、酢味噌につけていただきます。
 
               どれ、つけていただいてみましょう、イカの味がして、口の中に、酢味噌と、卵が
 
           広がって、美味しいですねーー。 模型公園は、法律上、お酒とたばこは禁止なので、たのしま
 
           ないのですが、お好きな方に、合いそうです。♪
 
           作業時間15分程度、原価450円程度の内容で、今日も美味しい料理でした。
 
 
 
 
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今日の模型公園の模型のお話は、日本陸軍1式中戦車です。   2012年7月29日 日曜日  完成就役。
 
                      先週は、平行作業で、この戦車の作業をして完成しました。
 
 
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   1式戦車は、隠れた存在というか、目立たない存在で、実戦で、ほとんど活躍せず、本土に決戦用として
 
配備されていたのですが、170両ほど、三菱重工で、生産され、生産が打ち切られたため、あまり知られていない
 
存在です。
 
  
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  昭和15年に、つなぎとして、97式改戦車が、1式対戦車砲を、97式戦車の車体にとりつけて 大きな砲塔に
 
直して、フィリピンの戦線に、投入されました。
 
    その昭和15年に、97式改戦車を全面的に見直し、車体を大きく改良して、12気筒新型エンジンを搭載
 
して、強力な無線機を装備して計画されたのが、1式中戦車です。
 
 
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            この1式中戦車、装甲を厚くして、当時は最新鋭で、M3戦車を一撃で撃破することが、
 
            可能だったのですが、残念ながら、陸軍の軍人官僚の怠慢で、生産が後回しになり、
 
            船舶、航空機が優先され、計画は、試作車のみで、置き去りになりました。
 
 
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            昭和19年になると、太平洋の島々、ビルマニューギニア、フィリピンなどで、米軍のM4
 
          戦車に、日本軍の戦車の射撃した、砲弾は、厚み8センチの装甲にはじかれて、役に立ちませんで
 
          した。
 
 
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      フィリピンでは、昭和16年に生産が開始された、97式改戦車【左の戦車】を1式戦車と呼んでいたよう
 
    です。
 
      
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     この、1式対戦車砲は、47ミリ砲なのですが、記録によると、フィリピンに35両陸揚げされて、
 
M4戦車に、70メートル以内から、射撃しないと、M4戦車は、撃破できなかったそうです。
 
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ルソン島の戦いでは、97式戦車で、肉弾突撃して、M4に接近するまでに、戦車や、バズーカ、M2機関銃など
 
で、長距離より射撃を受けて、数両の被害を与えたものの、戦車1個連隊は、全滅してしまいました。
 
 
 
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   このような、フィリピン、太平洋の島々での戦訓から、とりあえず、1式戦車、1式砲戦車を昭和18年6月から
 
生産を始めたのでした。
 
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       これらの戦車は、輸送船に乗せられて、フィリピン、ビルマの戦車の戦場に輸送されていましたが、
 
       途中で、輸送船が沈められ、ほとんどが海の中に沈んでしまいました。
 
 
  
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 この1式中戦車の47ミリ砲では、計画時の昭和15年当時は、最新鋭だったのですが、2年後には、既に時代
 
遅れの兵器になってしまい、前線の戦地から、威力不足が指摘されていたのでした。
 
  
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    そこで登場したのが、1式戦車の車体に、1式砲戦車の90式75ミリ砲を搭載した、3式中戦車です。
 
 
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         1式戦車は、180両生産されて、すぐ生産が途中で打ち切りとなって、3式戦車の製造に
 
         工場の製造ラインが変更になったのでした。
 
 
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            しかし、昭和20年になると、材料の鉄が、枯渇して、空襲などで、製造がはかどらず。
 
            8月15日を迎えてしまいました。
 
 
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          強力な通信装置を生かして、97改戦車の部隊の指揮官が、1式中戦車に搭乗して、
 
         全体を指揮するという、部隊編成になっていたそうで、本土決戦が行われていたら、部隊の指揮車
 
         として、使用されていたかもしれません。
 
 
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            文献によると、性能的には、昭和19年より部隊配備が行われ、ほとんど輸送船と水没し、
 
            残りは、本土の林の中に隠されていたそうで、戦後の米軍の調査によると、 速度44キロ
 
 
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            航続距離 210キロ 主砲 47ミリ1式対戦車砲装備 装弾数 121発、床下収納
 
 
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             7,7ミリ、車載機関銃 2丁  装弾数4220発 乗員5名 搭乗
 
 
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            1式中戦車は、調査では、70メートル以内から、射撃しないと、シャーマン戦車の砲塔の
 
 
            8センチの装甲を打ち抜く性能しかないと文献に載っています。
 
 
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            どうせ戦うなら、少しでも良い兵器を持って戦ってほしい。こんな考えの人は、
 
            陸軍省にいなかったのでしょうか。
 
 
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             日本の戦車兵は、大変なハンディーを背負って、愚痴を言わず、精神力で、
 
             敵と対峙していたのでした。
 
             今日は、昭和19年頃の日本の戦車 1式中戦車のご紹介でした。
 
それでは、みなさん、月曜日の楽しい夜をお過ごしください。♪               ギッチョンパー♪