第172回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第171話 広島第1中学 卒業式 2012年7月31日 火曜日の投稿です。
場所は変わって、広島の第1中学は、大正10年3月14日 快晴の元、卒業式が行われていた。
後で、人に聞いたのであるが、ここの1中は、毎年のように、海兵に合格者を出し、兵学校合格者が、後輩のため
に、今年度の問題の内容とか、面接での問答内容、体力試験の検査内容等を、事細かく、報告し、毎年の積み重
ねが、資料化されていて、奈良の1番の進学校の畝傍中学にもない、すばらしい資料が揃っていたらしい。
良いような、合格率であったのであった。
毎年の試験問題を研究して、暗記して臨むわけであるから、自分たちよりも出来が良いのも当たり前である。
さらに、運動機能検定も、事前にどのようなことを行うのか知って、練習していくわけであるので、大変有利である。
我々は、何も知らずにいって、ぶっけ本番である。
練習しておけば、合格できたかもしれない、出来るであろう試験も、不合格になる。
ここ、広島第1中学校は、東京帝大、京都帝大、九州帝大などにも、多くの生徒を合格させる、名門であった。
そんな、進学校で、源田實は、トップクラスの成績で、この中学を卒業したのであった。
成績は、すべて甲評価、 乙などは、全くない、運動も抜群で、頭も良い。
【当時の卒業式】
うらやましいことに、すべてが揃った秀才であった。
このような、ととのった学校で、色々と勉強し、海軍兵学校入試 一本に集中して、計画を立てて、臨んでいた
のであった。
【当時の見送り状況】
源田は、無事卒業式を済ませると、後輩たちに、見送られ、一旦、校門の外に出た後、又校舎に戻って
資料が保管されている、図書室て゜、過去10年間の問題を再度、目を通して、完全な物にするとともに、
外の校庭で、入学に際して、行われるであろう、各種体力測定を、必ず基準を満たせるよう、必死で、時間を
忘れて、取り組んでいたのであった。
しかし、この男ほど、人に対して、負けず嫌いで、対抗心をむき出しにして、計画を立てて、物事をしっか
り毎日進めていく、こんな能力は、広島第1中学時代で、はぐくまれたようであった。
【次回に続く。】