第494回 岡山県岡山市北区の備中高松城跡を訪ねる。
みなさん、こんばんは、模型公園です。 2013年4月20日 土曜日の投稿です。
今日の模型公園の家の近くは、小雨で、とても底冷えする一日です。
今日は、少し贅沢をして、アユをお腹いっぱい食べようという企画の、模型公園です。
1度、お腹いっぱい、アユを食べてみたいという、願望があって、 食べる事にしました。
今日は、実験で、塩と胡椒をふってみたのです。
桂の奥さんに、アユの雄と雌の違いは、背びれの形が違うと、教えていただいたのですが、
下の方が、メスの様に感じたのですが、まだよくわからない、模型公園です。
今日は、アユの塩焼きと平行して、タマネギとか、豚肉とか入れてね、スープを作りました。
うーーーん、こんな感じに、アユの塩焼きが、出来てきました。 美味しそうですね。♪
じゃーーん、アユの塩焼き定食の出来上がりです。
今日は6尾も食べる事にした、模型公園です。 いやはや、美味しそうですね。♪
最近、アユのおいしさが、少しわかってきたというか、何というか、ーーー、
また、塩味のアユの皮が、とても美味しいのです。
そして、熱いお茶を口に入れると、さらに良い味がして、美味しいですね。
タマネギと豚肉のスープもとっても美味しいですね。
今日の6尾の中で、1つだけ、卵風なのが入っていたので、箸で出して見ました。
食べて見たら、白子でした。 うーーん、アユというのは、判別が難しいですね。
今回のは、全部オスだったと言うことでしょうか、 謎は深まるばかりでした。
でもね、 お腹いっぱい、アユを食べれて、大変満足した、模型公園です。
そして、駅を出て、左に歩いて、踏切を渡って、トコトコと歩いて行くと、
備中高松城跡と言うところに行きました。
近くには、こんな大きな、大鳥居がありました。 すごいおおきいですね。♪
現在は、こんな感じの公園になっているのです。
中央には、こんな感じで、説明の看板が立っています。
こんな感じで、水浸しにされて、籠城していたのですね、
高松城というのは、石垣などはなくて、周囲を沼地が囲む、平城だったようです。
テクテクと歩いて行くと、 パノラマがありました。
これを見ると、北側の丘に、羽柴秀吉の本陣があったそうです。
少し風雨で、表面が風化していて、薄くなっていますが、周囲の当時の様子が、
よくわかります。
今日訪れたのは、備中高松城の資料館です。 一見、蔵のような造りですね。
資料館の中に入ると、親切なおじさんが、この模型を使用して、水攻めのお話をしてくれます。
「 大きな堤防を作ったのですねーー。」と、模型公園が聞くと、 おじさんが言うには、
この模型は、間違いで、実際には、堤防は、こんなに大きな物では無くて、延長も短い
そうなのです。
実際の堤防は、 上の画面、右側部分、鳥居の手前の部分だけなのだそうです。
おじさんのお話によると、黒田勘兵衛のの発案で、ここ、蛙ヶ鼻の部分にのみ、堤防を
つくって、せき止めると、水がたまっていき、 水浸しになるのだそうです。
当時は、現在言われているような、延長の長い、土手は築いていなくて、後代の人の
作り話、想像が、どんどん、堤防の延長を伸ばして行ったそうです。
僕は、 「 へーーーーー、そうなのですか、大変勉強になりました。」と言うと、
当時の絵図を、細かく色々と教えていただいたのでした。
ここ、高松は、低地で、足守川が、水位が上がると、現在でも水害にあうそうで、
こういう所には、家は建てない方がよいですね。
そして、毛利方と、織田方の軍勢の陣立て表を説明していただき、 この図を
見ると、 「夜、夜襲などを行えば、包囲の陣形は、崩せそうですね。」と、
模型公園が問うと、 毛利の軍勢の手前に、当時は、沼地があって、思う様に、
羽柴勢に、攻め寄せられず、逆に、沼を挟んで、鉄砲などを撃ってきて、 当時は、
にらみ合いの、膠着状態であったそうです。
こうして、当時の戦国時代の様子をおじさんから教えていただいて、ずいぶんと勉強に
なった、模型公園でした。
ここ、備中、高松城跡は、資料館も無料で見学できて、安く楽しめて良かったです。
近くに、無料駐車場もあるので、良かったら、遊びにいってみてください。
それでは、みなさん、良い土曜日の夜をお過ごしください。 ギッチョンパー♪