第425回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第424話 海軍兵学校、学科科目の事。 2013年4月21日 日曜日の投稿です。
自習室を見学して、我々は、色々と案内され、見学したのであるが、海軍兵学校に入学して、
卒業するまでには、外国語を二通り、話せるようにならないといけないのであった。
つまり、問題を解いたり、文章を見て和訳が出来ても、会話が出来ないとだめだったのである。
英語、フランス語、ドイツ語から、選択するようになっていたのであるが、限られた
時間で、2カ国語を会話できるようにするためには、相当な努力が必要であった。
【昭和初期頃の海軍兵学校の語学授業風景】
【昭和初期の海軍兵学校日本文学の授業風景】
見学していて、ちょうど、日本文学の授業をしている最中で、 黒板を見ると、なかなか、
難易度の高い事をやっていたのが、記憶に残っている。
【海軍兵学校 通信教育の授業風景 昭和初期頃 】
1番難しそうに感じたのは、電信の授業で、「ぷーーぷーーぷぷーーーーー。」
と、音を聞いて、それをまず文章に翻訳するのである。
今度は、その聞き取った文章の返信を、「とん、つーーーとんとんとんーーつーー。」
と、訳のわからない音で、たたいて返信するのであるが、私たちは何の事やら、
全く、わからなかった。
監事附の曹長のお話では、わからないと、食事を抜きで、勉強させられるそうで、
それは、えらいこっちゃーーと、思ったのであった。
当時の学ぶ教科というのが、運用術、航海術、 砲術、水雷術、機関術、通信術、兵法、戦術
戦史、海軍組織概要、海運教育論、 数学、物理、化学、外国語、日本文学、中国哲学、
心理学、 論理学、哲学、統帥学、法律学、経済学、衛生学、と、いろんな科目があり、
正味3年間で詰め込まれるのであるが、後年、 期間が少なすぎると苦情が出て、後年
修業時期が、6ヶ月延長され、3年6が月の入校期間になるのは、私が卒業したのちの、
昭和になってからのようである。
当時の海軍兵学校の生徒は、限られた時間に、大量の課目を詰め込まれて、全国から
優秀な人材が集まっていたのであるが、 その苦労は、口では言い表せない物であった。
とにかく、いろんな予定が入っていて、予習復習する時間が、ほとんどなく、授業中、耳をそばだ
てて、授業中に覚えていくしか、方法が無かったのであった。
それでも私は、当時早く入学して、知識を身につけて、連合艦隊司令長官、海軍大将に
我、ならんとス と、考えていたのであった。
らんらんと目を輝かせて、授業を見学したのであった。
【次回に続く。】