第424回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第423話 海軍兵学校 自習室での動作の事。 2013年4月19日 土曜日の投稿です。
私たちは、厳しい、寝具などの整理整頓の指導を受けた後、監事附き曹長の案内で、
次の場所に移動したのであった。 部屋の入り口には、○○分隊自習室とある。
「はぁーー、ここが、勉強する場所かいな、ほーー、良い机が置いてあるやないか。」と、見ていたので
あった。
【昭和初期の海軍兵学校 自習室の様子。】
海軍兵学校では、夕方の食事が済んだ後、1830時から、自習時間というのがあるのである。
正面の額縁には、軍人勅諭の文字が毛筆で書かれた、額がかかっていて、 全員、各学年事に、
5分前には、上の写真の様に整列して、目を閉じて、瞑目して、待機するのである。
四角い木箱【スピーカー】から、ラッパの音が鳴ると、一斉に、着席して、 机の上板を
上げるのである。
【昭和初期の海軍兵学校 小銃掛けの古写真】
部屋の後は、38式歩兵銃の小銃掛けが、ずらりと並んでいて、 ピッシーーと、銃身を
上にして、整理整頓されていて、天井が、とても高くて、静かな部屋である。
すこし、わかりにくいと思うので、当時の机の造りを説明すると、現在の机の引き出しは、
おおむね、大概は、 手前にひいて、引き出しをだして、物を出し入れするのであるが、
海軍兵学校の机というのは、机の天板を上に上げて、内部に本が収納されているので
ある。
我々は、後日、厳しく、起立、着席の動作を指導されるのであるが、 1、2、3の
動作で、 座席から起立し、 また、1、2、3の動作で、 着席するのである。
ラッパの号令で、 全員一斉に、1、2、3の動作で、着席すると、余計な会話はなく、
【昭和初期の海軍兵学校での自習室での様子】
一心不乱に、勉強に打ち込むのである。 本は支給なのであるが、大日本帝国の物で、
かき込んだり、折り曲げたりすると、連帯責任で、分隊全員が処罰を受けたのであった。
そういうわけで、支給の教科書などは、大切に扱い、また、自習終了時刻近くになると、
机の天板を上げて、本の角と、角をきれいに合わせて、元に戻すのである。
ここで、少しでも本がずれていたら、分隊の連帯責任となって、厳しい指導が、
あるので、みんな慎重に、本をそろえて、元に戻すのである。
そして、着席して、目を閉じて、軍人直喩をそらんじるのである。
ひとつ 軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。
ひとつ 軍人は礼儀を正しくすべし。
ひとつ 軍人は武勇を尚ぶべし。
ひとつ 軍人は質素を旨とすべし。
と、全員でそらんじるのである、 そして、瞑目して一日を振り返り、反省して
明日を迎える準備をするのであると、そんな、説明があって、
私は、教科書も線を入れたり、註訳や、ふりがなを記入したりすることは、禁止されていて、
自分がすんだら、次の学年が使用するという事を、説明を受けて、学んだのであった。
そういうわけで、年を取った現在も、夜になると、目を閉じて一日を反省するという
行動というか、くせが、現在も染みついているのである。
【次回に続く。】