第527回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第526話 踊らされる軍国少年の心の事。2013年8月1日 木曜日の投稿です。
「 軍人の本分とは何か。」 という、題名の聴講の授業が、終わると、ちょうど、
ラッパ信号の、ラッパの音がして、 首席の生徒が、「 全員、起立、 きょうつけ
ーーー、敬礼。」と、号令をかけると、私達は、敬礼して、 授業が終わったのです。
やれやれである。 そのまま、全員で教室の外に出ると、海軍兵学校では、
昼過ぎの、1410時から、1520時までの、1時間10分の間は、自由休憩の時間
なのでありますが、 私達、3号生徒は、先輩方の、衣服の洗濯をさせられたり、
説教の時間になったりと、 休憩がなかなか、実際には、取れなかったのです、
ちょうどその日は、なにも、先輩方から、どうのこうのという、用事の言いつけが
無くて、 みんなで、語り合いの時間になったのです。
小池君が、「 今日の講義を聴いて、自分は、随分と考えが変わった、 軍人
になったからには、第6号潜水艇の佐久間 勉 大尉のように、 人々に語られる、
そういう将校になりたいもんや。」と、そんな話をするので、私は、他の生徒と供に、
ニコニコしながら、話を聞いていたのです。
ました。
恥ずかしながら、私は、成績が悪く、第13分隊でありまして、 そんな彼は、成績
を鼻にかけることもなく、私を見下したような、態度もとらず、 いつも、私をたててくれ
て、よい同郷の少年であったのです。
「淵田生徒、どうです、今日の講義を聞いて、 自分は、第6潜水艇の、 沈勇士の
話を聞いて、自分も、軍人の本分を尽くせる将校に、勉強をして、訓練を積んで、なり
たいと思います。」と、言うので、 私が、「 口で言うのは、簡単やがな、実際、どうか
いな、 水深17メートル言うたら、 わしやったら、 ハッチをあけて、こう、窒息する
前に、水中に出るがなーーー。」と、言うと、 小池君、「 淵田さん、泳げるのです
や。」 と言うと、小池君が、「本当ですか、すごいですね。」と、言うので、小池君、この
当時、山育ちで、そんなに泳げなかったらしい。
早速、今度のヒマな時に、そのへんで一緒にどうやと、さそうと、 周囲の生徒も、
「淵田生徒、観海流の水泳道場の泳ぎ方を、見せてください。」と、頼まれて、安請
け負いしたのでありました。
「ところで、小池君、 広島の源田生徒は、どないしとるんや。」と、聞くと、「さあー
ーー。」と、知らないようなそぶりであったのです。
すると、 小池君と同じ分隊の福岡県の石井 励 生徒が、「 あいつは、なにやら、
紙と鉛筆を、酒保で調達して、武徳殿の方に、歩いていっとったとです。」と言うので、
私は、「はてーー、あいつ、なにしに武徳殿に、いきよったんかいな。」と、他の生徒
と供に、武徳殿に歩いて行って見たのです。
ような場所で、 ふと見ると、源田が板間に正座してなにやら、書いているのです。
私が、「 おーーう、源田、なにをしとるんかいな。」と、声をかけると、 こちらを見向
きもせず、「 おーーう 貴様、見てのとおりだ。」と言う、 私は、視力が弱いので、
よく見えないのですが、そんなことしゃべると、視力検査を暗記して、入学したのが、
ばれてしまうので、 道場の入り口で、 きょうつけをして、深々と、礼をして、 源田
に、近づいていくと、なにやら書いていたのです。
それは、道場十訓であったのです、 「 ふちーーーー、 ご覧の通り、勉強できる
のは限られた時間だけじゃけー、 上手に、勉強せんとなーーいけんのんよーー、
何しろ、夕方から夜までは、先輩方に、訳のわからんことをさせられて、 直ぐ消灯
だ、 勉強する時間が無いけえのー、
こうして、書き写して、 寝台に持って帰って、 今日時節は、4時30分には、夜が明
ける、朝、これを書き写して、覚えようと言うわけだ。」と言うので、私達は、「はあー
ーー。」と、感心したのです。
「 おい、わいも、書いておぼえるさかい、紙と書く物を捜してくる。」と言って、みんなで
急いで、養浩館という酒保に向かったのです。
【次回に続く。】