題575回 昭和の伝道師【戦中戦後のパイロットの物語】

題574回 海軍兵学校 服装検査の事。2013年9月18日 水曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  土曜日の午後に、生徒全員で、東京、神田の有信館の先生方を、整列して、


  お送り申し上げたのです。
 
 
 
  
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 先生方も、到着時は、私一人の案内でしたが、見送り時が全員整列で随分違う
 
ので驚かれたようですが、 武徳殿の稽古の見学は、後で見ていただけですが、

随分とその後の私に中山博道先生の有信館の武道は、影響を与えたのです。
 
 
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                       【 海軍兵学校 酒保  養浩館 】
 
 翌日の、日曜日の事をお話ししますと、日曜日は例外もあるのですが、 授業は

なくて生徒は基本的に、休日なわけです。
 
同じ分隊の先輩方に、変な命令を受けなければ、 分隊事に、江田島の島の中の

海軍が契約してある、生徒倶楽部と言うところに遊びに行くか、教官の家に遊びに

行くか、 島内で勝手に過ごすか、 どちらかで、楽しむわけです。  
 
当時は、戦後の現在と違い、 島から、呉などの本土に行くことは、禁止されていた

のです。
 
さてさて、私は兵学校内の酒保で実家の奈良の母親に手紙を書こうと思い、酒保の
 
「 養浩館 」 に行ったのでした。 当時、養浩館は、新築のピカピカほやほやで、

まだ、木の香りが残っていました。
 
 
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          【 海軍兵学校 養浩館 内部 古写真  昭和初期頃。 】
 
 
 
以前紹介しましたが、ここの酒保にきますと、 ようかん とか絵はがきとか、文房具
 
などが置いてありまして、店番は誰もいなくて、帳面にハンモックナンバーと、姓名を
 
かき込んで 商品を持ち出すという、そういう仕組みであったのです。
 
当時は、 品物がなくなったりはしなかったのです。
 
「 おーーう、そうやな、 生徒倶楽部に行って、 みんなで、ようかん でも、食べよう

かいな。」と、こんな事も考えまして、ようかんを数本、伝票に書いて、分隊の部屋に

戻ったのでした。
 
 
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但し、 1つ問題というか鬼門がありまして、 全員分隊は整列して 監事附殿に、
 
服装検査をしていただいて一人でもだめな場合は、30分後に再検査となるのです。
 
それが、なかなか難儀なことでして、靴に汚れがあるとか、 服にシワがあるとか、
 
糸くずがついているとか、 なかなか許可が下りないわけです。
 
ひどい分隊ですと、 一日中服装検査で、休日がつぶれるという、そういうことも、
 
あったのです。
 
 
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まぁーー当時はですね、この服装検査が、私は、いやで、いやで、 ため息が出ま

して、かといって、 私がいないと、分隊は、連帯責任なので、外出が出来ないわけ

です。
 
困ったものです。
 
たしか、中山先生が、こられた日の次の日曜日は、4回、つまり、2時間服装検査に
 
費やしまして、 やっと、外出許可が、監事附殿から、出たのでした。
 
 
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私達は、兵学校が契約している、私達の分隊の生徒倶楽部、 武田家に向かって、
 
兵学校の通用門を出たのでした。
 
やっぱり、休日の日曜日は、毎週、毎週、私達生徒には、とても楽しみでした。
 
 
【次回に続く。】