第679回 素敵なティーカップで、連休を楽しむ!♪。
みなさん、こんにちは、模型公園です。 2013年9月23日月曜日の投稿です。
今日は、秋分の日、 あした、ブログ友達の奥さんの誕生日だったと、薄い記憶があるのですが、
何しろ、1年前の事、 だれだったかーーーー、 まっ、 又あと考えることにして、 今日は大変良い
お天気です。
先週が、台風でお天気が最悪だったので、 この三連休で遊びに行かれる人、多いようですね。
今日はね、またまた、お金がないのに、無駄使いしちゃって、 まっ、二足三文だった
ので、ついつい、買ってしまいました。
ハートの形のケーキのお皿、 なかなかブルーがきれいでしょ、♪
こちらは、カップのお皿、 ハートの形です。
実は、高級そうに見えますが、美術商の目から見るとね、 このセットは、印判物と
呼んでね、手作りではないので、価値は無いのです。
だから、二足三文の、雑器の中古品と言う事で、手に入れたのですが、普段使って
楽しむのには、なかなか良さそうです。♪
高台の後には、クィーン ハート と、メーカーの名前が入っています。
こちらもそうですが、 ハートの模様が地透かししてあるのにも、気を引かれたのです。
値段が、値段なので、 どこかの、バッタものの、 五客一揃えの内の、一客と思います。
早速、ストレートの紅茶を入れてみました。
今日は、ブランデーケーキを切って、置いてみました。
内側が、金色なので、 すこしだけ、お金持ちになった気分になりました。♪
僕は、お小遣いで、割れても良い値段で、 食器を買って、普段楽しんでいる事は、
以前紹介しましたが、 なかなか楽しい事で、 みなさんも、よかったら、まねして見てください。
なかなか、美術品ではなく、工芸品で、価値は無いですが、 目を楽しませてくれます。♪
絶対、高いお値段で買わないことです、割れてもよいお値段でーーーー。
いつも、心の隅に置いている言葉です。
今日も、美味しい、お茶の時間でした。♪
今日の模型のお話です。
日本の潜水艦というのは、 大東亜戦争中、世界でも1番優れていたのですが、
昭和17年頃から、アメリカの潜水艦は、対艦 、対空レーダーを搭載し、 我が国の
潜水艦は、搭載していなかったので、 随分と、苦戦したのです。
それは、「潜水艦から電波を出したら、潜水艦の場所がわかって、隠密性がなくなる
ではないか。」と、反対する石頭の幹部がいて、配備が2年程度送れたのが
原因でした。
レーダーというのは、 水面を測定する艦船用の物と、空の航空機の対空用のレーダーの
2種類です。
当時、アメリカは、日本の暗号通信を傍受していて、 どのあたりに日本の潜水艦が命令で
動いているか、ほぼ掌握していたのです。
護送小型空母から、 対潜哨戒機を飛ばして、 レーダーで日本の艦船を発見すると、 夜間でも、
そんな中、 日本が完成させた新鋭航空潜水艦が、【イ 400】 クラスの潜水艦だったのです。
当時、潜水艦に、飛行機を3機搭載し、 カタパルトで射出して、 攻撃機を発進させるというのは、
日本の潜水艦しか出来ない芸当でした。
そんなわけで、 今回、時間を作って、有泉龍之介 大佐 指揮のイ400 イ401を作ろうと
キットを買ってきました。
出来上がりましたら、又、ご覧に入れます。
「 ぎぃーーーーーーーーん、 きゅりん、きゅりん。」
ドイツ2号戦車 №2 2013年9月23日 月曜日 完成就役。
このドイツの2号戦車というのは、昭和10年 1935年に開発されたドイツの戦車でした。
など、ヨーロッパを占領していきます。
実は、この戦車、エンジントラブルが多く、 評判がよくなかったのですが、
一部、中国の国民党に売却され、日本軍とも戦火を交えました。
この戦車は、 20ミリ機関砲に、 7,92ミリ機銃 時速40キロ 航続200キロ
3人乗り という性能ですが、 装甲が、 15ミリ程度しか無く、 装甲車程度だった
のです。
日本の戦車には、大砲がついていて、 この2号戦車などは、一撃で仕留めて
行ったのでした。
当時は、 昭和15年前後は、ドイツより、日本の方が、戦車は進んでいたのです。
当然、フランス陸軍のルノー戦車、 イギリスの戦車も、ドイツより強力だったのです。
では、なんで、イギリスやフランスはドイツに負けたのかーーーーー。
原因は、 空の制空権を ドイツが掌握していたのです。
フランスは、当時世界一と言われる、戦車隊を持っていたのですが。
先ず初めに、フランスの飛行場が襲われ、戦闘機を飛び立つ前に破壊され、
戦車の上から、爆弾が空からどんどんふってきて、 どんどん戦車が破壊され、
鉄道の線路、 駅、 鉄道の旋回ポイント場が、爆撃され、 フランスは物資を
前線に補給できなくなったのです。
結果、 燃料、弾薬不足になり、 フランスやイギリスの戦車は動けなくなったのです。
動けなくなったところに、 この2号戦車が、アルデンヌの森をすり抜けて、背後から
攻撃して、 退却するであろう後方の都市を占領していき、
後も、ドイツ軍、 前のオランダ、ベルギーもドイツ軍、 食料、弾薬、燃料の補給も
とどこおり、 ダンケルクの海岸に追い詰められ、結果、敗北したのでした。
降伏した、フランス兵、 フランス植民地兵は、食事を抜いて、弱らせた後、
バラバラに移動させられて、ヒットラーの命令で、処刑されました。