第580回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第579話 日本海水上機の導入の事。       2013年9月23日 月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
  以前、タンク【戦車】や、潜水艦、毒ガス、飛行機など、 当時は、欧州大戦【第1次世界大戦】と、
 
私達は、呼んでいたのですが、 明治37年程度から、日本海軍も、日本陸軍も、 別々に、技術導入
 
で、どんどん高額な金額で兵器の輸入をしていった。と、言うお話は以前紹介させていただきました。
 
 
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   そして、日本海軍は、イギリスから、主に兵器を輸入し、軍隊の組織もイギリス式でした。
 
 
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   陸軍はどうかというと、欧州大戦で、ドイツなどを降伏させて、当時戦勝国だった、フランス陸軍
 
を手本としまして、 兵器をフランスから主に輸入していました。
 
 機関銃なども、フランス式を輸入し、これが第2次世界大戦、大東亜戦争まで続いていきます。
 
 つまり、陸軍の機関銃の原点は、フランスの機関銃を模倣して始まりました。
 
 
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   陸軍の飛行機なども、フランス式で、海軍の操作レバーなどとは、随分と違っていて、
 
   のちに、部品交換も出来ない、弾薬の共通性もない、 大東亜戦争の敗戦の原因のひとつ
 
   となっていきます。
 
   つまり、「 陸軍が、陸軍が、  海軍が、海軍が。」と、 こう言う組織のあり方が、問題であった
 
   のです。  
 
 
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      陸軍でも、大正10年ころは、イギリスのビッガース社などと、取引していたようですが、
 
      上の画像の、ホイペット戦車が、火災事故を起こし、イギリス人技師が、焼死すると
 
       いう事件以後、 イギリスの物件から、手を引いたようです。
 
 
 
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       この事故を教訓に、 ガソリンを使用せず、陸軍では、発火しにくいディーゼルエンジン
 
        になっていくのですが、 またまた、 大東亜戦争では、ガソリンと、軽油の2種類の
 
       油に分けて。補給することになり、 何事も、陸軍と海軍とで、共通性がなかったのです。
 
 
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   日本のタンク【戦車】の原点は、フランスのルノー戦車が、原点で、 これを分解研究して、
 
    コピーして、改良して、進化していったわけです。
 
 
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 一緒に机を並べて、仕事を一時期していた、陸軍の瀬島中佐【後の伊藤忠商事 会長】に、お伺い
 
した話では、「 イギリスの兵器より、フランスの兵器は、小型で、日本人に扱いやすかった。」
 
こう言うお話を聞いたことがあります。
 
 
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             この戦車の後の車体などは、95式軽戦車と造りがよく似ています。
 
 
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      このような感じで、私が海軍兵学校に在籍していたころは、どんどん、兵器を輸入して、
 
     バラバラに分解して、模倣する、そういう時期だったのです。
 
 
 
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   私が、航空兵になる、きっかけとなったのは、後日紹介しますが、 水上機で、 日本海軍の
 
水上機の原点というのは、 アメリカの水上機なのです。  上のカーチス式というのですが、
 
以前、日本の潜水艦の原点は、アメリカのホランド型潜水艦であったと、紹介しましたが、
 
 
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   アメリカの兵器は、輸入したのはよいが、使い物にならない兵器が多かったのです。
 
 つまり、彼らは最新式の兵器は、自分たちが使用して、日本に売らなかったし、 使い物にならない
 
中古を日本人に高額で売りつけるわけです。
 
 
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  そういうわけで、 結局は、 潜水艦も、 桁外れの大金で、イギリスから、買うことになって
 
いくのです。  イギリスの兵器は、高額でしたが、 使い物にならないと言う事は、なかったのです。
 
 
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初めは、アメリカから輸入した、カーチスの水上機は、飛ぶのは飛ぶのですが、 運用に耐えないと
 
言う事がわかりまして、つまりだまされたわけですが、 水上機も結局、イギリスから輸入する事に
 
なっていきました。
 
日本海軍の飛行艇の原点は、イギリスの飛行艇だったわけです。
 
この飛行艇が、私の人生を、大きく変えていくのでした。
 
 
【次回に続く。】