第590回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第589話  戦艦 石見 密封命令書の事。 2013年10月3日 木曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
     
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                【  戦艦  石見 当時 寒冷地用の設備が整えてあった。 】
 
 
 北海道の小樽港で、補給及び、陸戦装備を搭載した、戦艦 石見は、小樽港を

命令通り1918年【大正7年】1月10日  雪景色の小樽港を出港したのです。
 
 
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                 【 雪の中、乗艦する、  海軍特別陸戦隊 】
 
 
ところで、ご存じない方に、わかりやすく説明しますと、 特別陸戦隊【とくべつりく

せんたい】とは、何かというと、海軍の中で、必要なときに、陸上で、戦闘行為を

行う部隊を編成することで大正時代の当時は、 常設ではなかったのです。
 
 つまり、海軍の中の、陸軍部隊と言った方がよいかもしれません。
 
 
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陸軍と違いまして、 当時は、野砲などの、重火器は持っていなくて、 もっぱら、

機関銃と小銃の装備でした。
 
 
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当時は、上陸用舟艇のようなものは無くて、 普通の手こぎボートで、海岸に

乗り上げて、上陸するという、そんな感じだったのです。
 
これが、昭和に入りますと、 巡洋艦 利根 が、上海付近の居留民を国民党から

守るために上海特別陸戦隊というのを、300人規模で、編成しまして、 利根の

艦長が、指揮していたのですが、
 
 
 
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    【 ドイツ軍の装備を採用していた、 中国国民党軍【台湾政府の前身】 】
 
 
 
 
国民党が、ナチスヒットラー政権から、兵器や、戦車、装甲車などを購入して、

上海の日本人租界地域を襲撃してくるに及び、 その規模は、拡大されていき、

戦車、装甲車を
 
 
 
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 装備する、1個大隊、1000人程度の規模の部隊になっていきます。
 
 
 
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      【 南方の島で、 占領を意味する、標柱を建柱する、海軍陸戦隊 】
 
 そのうち、大東亜戦争が始まりますと、南方の島の占領、治安維持、など、どん

どんと、範囲が広がり、 組織が、巨大化していくのですが、そのことは、又、後日

紹介して行きます。 
 
 
 
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           【昭和18年頃の 海軍特別陸戦隊  上陸用戦車】
 
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出港して、しばらくして、艦長室で、密封命令書を開封した、海老原大佐は、 

その内容を読んで、大変驚いたのでした。
 
 
大正6年12月20日付     発信、 連合艦隊司令部
 
宛 戦艦 石見 艦長 海軍大佐 海老原 啓一 
 
命令、

 戦艦 石見は、 大正7年1月12日 ウラジオストックに、友好親善目的を

よそおい入港、投錨し、 数日後、 日本人居留民、1名程度を、隠密に襲撃、 

軽い程度の負傷せしめ、 翌日、日本人居留民保護名目で、海軍特別陸戦隊、 

兵力200名を上陸せしめ、 日本人の安全を確保するとともに、ウラジオストック

軍港周辺の軍事要塞、 水深状況などを、詳細報告すべし、 別途命令があるま

で、ウラジオストック 周辺で、待機すべし。
 
尚、 この命令書は、貴官が、責任を持って、処分されたし。
 
 
連合艦隊司令長官  山下源太郎  
 
 
 
密封命令書というのは、 電波を発信しますと、解読されて、傍受される恐れが

ありますので、文章を事前に、チョコレートのような物を上に貼りまして、封をした

命令書のことです。
 
指定の日にちになりますと、 開封して、命令書を読むわけです。
 
 
当時、季節は冬本番、 現地のウラジオストックは、零下-20度近い、気温で、

とても戦闘をするような、気象状況ではなかったのです。
 
   
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 この石見という戦艦は、元は、ロシアの戦艦で、 厚い氷を船首で、割ったり、 

艦内が暖房が可能なような造りになっていたので、 この石見を、先行して、ウラ

ジオストックに派遣して現地の領事館などの日本人の保護、偵察の目的で、、派遣

されたのでした。
 
日本陸軍多国籍軍の上陸作戦は、 現地が雪解けして、 穏やかな気候になる、

6月から、7月に、予定されていたのでした。
 
 
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              【  当時の ウラジオストック  軍港 風景 】
 
当時のウラジオストックのロシア極東艦隊は、 日本に、日露戦争で撃破され、

駆逐艦と小規模な部隊しかいなかったのですが、 冬場は、 寒冷地のため、 

ほとんどもやがたちこめて波浪が激しく、 行動は制限されていたのです。
 
 
 
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 戦艦 石見 は、 霧の立ちこめる、日本海を渡り、一路、ウラジオストック目指

して、転進を開始したのでした。
 
 
【 次回に続く。 】