第599回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第598話  シベリア炭鉱騒動の事。2013年10月11日 土曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
  全国各地で米の急騰による、買い占め、打ち壊し、放火か続く中、

 
  
 
 
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  は、陸軍に鎮圧命令を出したのでした。
 
 
 
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全国の各連隊から、主要な都市に、兵が配置され、 解散しない場合は、逮捕
 
するよう命令が出されたのでした。
 
 
すると、 立憲政友会 原 敬 らが、予想しない場所から、暴動の火の手が
 
あがったのです。 
 
 場所は、北海道や、九州の炭鉱だったのです。
 
 
 
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戦後の現在と違いまして、まだ、石油より、石炭が需要が多く、黒いダイヤと呼ば

れて、財閥が日本国内の炭鉱を支配し、 当事は、船も、鉄道も、石炭を燃料に

していまして、主力燃料だったのです。
 
 
 
 
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労働者の暴動は、 九州一円の炭鉱で発生しまして、これを新聞記者が記事に

して、全国に配り歩いたので、 北海道などにも飛び火しまして、騒ぎが広がった

のです。
 
 
 
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 その当事の炭鉱労働者は、命がけの作業で、落盤事故で死傷する者も多く、 

日本人だけでは、労働者がたりないので、朝鮮半島、中国大陸からも、労働者を

集めて、低賃金でこき使っていたのが、実情だったのです。
 
 
 
 
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初めは、炭鉱のある町で、ストライキをして、賃金を上げるように求める騒ぎ
 
程度だったのですが、 久留米の連隊から、陸軍と、陸軍憲兵隊が町に乗り

込んで
 
 
 
 
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来ると、 一部の労働者が、暴徒化し、 炭鉱で使用する、ダイナマイトを投げつけ
 
るなどの事件になり、また、その様子を新聞記者が記事にして、全国に配り歩いた
 
ので、 どんどんと、労働争議が拡大していったのでした。
 
 
 
 
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  小田原市古稀庵で、騒動の新聞を読んでいた、元老 山縣有朋侯爵は、 

内閣総理大臣寺内正毅大将を、小田原に呼び寄せ、つぎの様な、指示を

与えたのでした。
 
 
 
 
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  つまり、陸軍憲兵隊による、新聞の発行内容の検閲と、暴動の武力鎮圧、 

そして、臨時予算を編成して、全国の米を一定の基準の価格で政府が1度買い

上げて、 庶民に一定の価格で配給するという考えでした。
 
 
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寺内内閣は、即座に、当事の価格で、1千万円の予算を用意して、 米の価格の
 
安定に努め、 次第に、米騒動は鎮静化していき、 新聞も憲兵隊により記事の

内容が制限され、米の騒動、炭鉱での労働争議の記事は、掲載を禁止され、 米

騒動の騒ぎは沈静化していったのですが、 炭鉱の労働争議は治まらず、多くの

死傷者、逮捕者が発生したのでした。
 
 
 
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逮捕された労働者は、死刑や無期懲役などの刑を言い渡され、 社会から
 
抹殺されたのでした。
 
これらの全国各地に発生した騒動の事を、シベリア炭鉱騒動と、総称しています。
 
これらの騒動で、 国会内や、 政党内、 海軍などから、内閣総理大臣 寺内大将
 
への批判が高まり、 又、陸軍の内部でも、山縣有朋侯爵が、長州系列の軍人
 
のみで、陸軍の要職を、独占し、押さえようとして、他の将校と摩擦が起き、陸軍
 
の中でも、不満が噴出していったのでした。
 
又、新聞各社も、報道の自由を求めて、 寺内内閣を攻撃する社説を掲載しだし、
 
世論は、反 寺内で、どんどん進んでいくのでした。
 
 
 
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それらの陸軍内でのグループが、旧西郷従道 系列の薩摩閥の軍人のグループ
 
でした。
 
長州系列の田中義一大将は、表向きは、山縣有朋侯爵に、歩調を合わせていた
 
のですが、 自ら、内閣総理大臣になろうとして、寺内内閣不信任に、 水面下で動い
 
ていくのでした。
 
 
 
 
 
【 次回に続く。 】