第708回  模型公園風 豆腐親子丼を楽しむ。

みなさん、こんばんは、模型公園です。          2013年10月22日 火曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
  今日の模型公園の家の近くは、晴天で、よいお天気でした。
 
 
 
                           今日のままごとの紹介です。
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
             今日は、 今までほとんど毎日、親子丼の実験をしていたのですが、       
 
              おおまかな、ようりょうが掴めてきたので、少し応用を実験して見ました。
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
  
           今日は、鰹節のだし、醤油、みりん、日本酒を少々いれて、出汁を作りました。
 
 
 
イメージ 12
 
 
           鶏の胸肉を1センチ程度の大きさにカットしました。 色々と実験して見たのですが
 
           この大きさが1番、お箸でかき込んで食べるのには、ちょうど良い大きさのようです。
 
 
 
 
 
イメージ 22
 
 
 
                         こんな感じにして、加熱していきます。
 
 
イメージ 23
 
 
 
                  ここで、絹豆腐を、小さくカットして、入れていきます。
 
 
イメージ 24
 
 
 
             鶏の挽肉を入れていきます。 お値段は108円でした。
 
 
 
イメージ 25
 
 
 
                     挽肉は、表面を少し、火であぶってみました。
 
 
イメージ 26
 
 
 
                           生卵を2つ用意してね、
 
 
 
イメージ 27
 
 
 
                             こんな風にといてですね。
 
 
 
イメージ 3
 
 
 
                       2回に分けて、溶き卵を入れるわけです。 
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
           1度入れて、 直ぐに、刻んだお野菜と挽肉をパラパラと入れてね。
 
 
イメージ 5
 
 
 
                      すぐ、2回目の溶き卵を入れるのです。
 
 
 
 
イメージ 6
 
 
 
              100円で買った、 どんぶりに、 豊松村の美味しいご飯をついで、
 
              上から、汁と具材を載せるのです。
 
 
 
 
イメージ 7
 
 
 
                     じゃーーん、 今日の豆腐親子丼の出来上がりです。
 
 
イメージ 8
 
 
 
                   こんな感じになったのですが、 味の方は、どうでしょうか。
 
 
 
 
イメージ 9
 
 
      
          どれどれいただいてみましょう、  なかなか美味しそうです。  ♪
 
          とき卵の中に、鶏の挽肉が入って、良い感じです。
 
 
 
イメージ 10
 
 
        
            鶏肉は、1センチ角程度に、カットすると、こんな感じの大きさになります。
 
 
 
 
イメージ 11
 
 
 
           麻婆豆腐と、親子丼が、合体したような感じで、大変美味しかったです。
 
 
 
イメージ 13
 
 
 
            今日は、食後に、煎茶をいただきました。  今日も美味しい食事でした。
 
 
 
 
 
 
 
            模型公園の所有する、古写真を鑑賞するコーナーです。
 
 
 
 
イメージ 14
 
 
 
            今日の紹介する、横撮影の古写真は、舞鶴の古民家の整理で出てきた、
 
          おそらく、2枚と無い写真と思うのですが、 左の人物は、海軍中佐の階級章で、
 
          中央の人物は、海軍大佐の階級に、参謀緒をつけているので、 首席参謀の
 
          誰かではないかと思うのですが、横顔が、連合艦隊 首席参謀の黒島亀人
 
          大佐とよく似ていると思い、他数枚と供に、入手しました。
 
          当時の高級車というのは、現在とは、逆にドアが開くのですね、 この車、
 
          どういう名前の車が、よくわからないので、ご存じの方がいらっしゃいましたら、
 
          投稿で、ご指導いただくと助かります。
 
          
 
イメージ 15
 
 
 
          写真の裏には、剥がしたような跡があり、 スタンプが押してあって、
 
 
          【舞鶴鎮守府  18 9 20  検閲炭 】 と、紫色で、スタンプが押してあります。
 
 
          昭和、18年当時の、舞鶴鎮守府 司令長官は、 たしか、上海事変で、海軍の
 
          上海特別陸戦隊の司令をしていた人だったような、記憶があるのですが、
 
          おそらく、連合艦隊か、海軍軍令部の首席参謀クラスの海軍大佐が、鎮守府
 
          車で到着して、降りてきたところではないかと、推察しています。
 
 
           今日は、1943年の今から、70年前の古写真の紹介でした。
 
 
 
 
 
                          今日の模型のお話です。
 
 
イメージ 16
 
 
 
          今日は、アメリカ軍のM4シャーマン戦車に、サビの表現をしました。
 
 
 
イメージ 17
 
 
 
             茨城県霞ヶ浦という、湖の西側に、阿見町【あみまち】 という、場所があって
 
 
           そこの陸上自衛隊の施設の中に、 このM4戦車の本物が、展示してあるのです。
 
 
 
イメージ 18
 
 
 
           こうして、模型を、筆で、さすっていると、そうでもないように思うのですが、
 
           本物の前で立つと、 2階建ての家くらいの高さがあるのです。
 
 
イメージ 19
 
 
 
    当時、ドイツ戦車の研究をしていて、シャーマン戦車なんぞという、考えがあったのですが、
 
     やはり、机上の空論でなくして、現物を見るというのは、勉強になるわけでして、
 
 
イメージ 20
 
 
 
          2階建てのような、アメリカの戦車に、軽トラックのような、95式戦車で、攻撃しても
 
 
          返り討ちに遭い、 日本の大砲が命中しても、 装甲で跳ね返されたという、
 
          戦訓話が、頭に浮かんできたのでした。
 
 
イメージ 21
 
 
 
        陸上自衛隊の戦車は、車幅が、鉄道輸送を考えて、 狭いわけですが、考えを
 
        改めて、欧米なみに戻さないと、又、南方の島での悲劇が繰り返されるのではと、
 
        心配しています。  今回の10式戦車も、 運動性能が上がったと宣伝していますが、
 
        残念ながら、下部車体の装甲が、90式戦車より、随分薄いようです。
 
        薄いので、数トン近く、車体重量が軽いのですが、 戦後、70年、過去の戦死された
 
        人の死を無駄にしないように、乗る人が安心して乗れるような、安全に配慮した
 
        戦車を作ってもらいたいですね。
 
        M4戦車を見上げて、 左の3式戦車を見たら、貧相に見えました。
 
        だけど、3式戦車の塗装、 誰があんなヘンな塗装にしたのか、理由を聞いてみたく
 
        なったのは、僕だけでしょうか。
 
        今度、僕が塗り直してあげましょうかと、言いたくなるような、仕上げでした、
 
        あれはひどいですね。
 
 
 
 
今日のお話は、ここまでです。    それでは良い火曜日の夜をお楽しみください。♪