第609回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第608話  日本陸軍ウラジオストックに上陸ス。の事。    2013年10月22日火曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
   
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  大正7年【1918年】 日本の第3艦隊から分離した、第6戦隊司令 竹内重利海軍少将
 
率いる、戦艦4隻、 及び、後藤 章大佐 率いる 第5駆逐隊 駆逐艦4隻は、 それぞれ、
 
日本海のY点という、場所から、一路東に航行し、 ナホトカ港に進撃し、これを封鎖せしめ、
 
 
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        ナホトカ港を、完全に封鎖し、 海岸を威圧しながら、舞鶴で編成された、海軍陸戦隊
 
        を上陸させ、ナホトカ港に、 拠点を築いたのでした。
 
 
 
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  又、第3艦隊の主力、 第5戦隊は、 しばらくウラジオストック港外で待機していたのですが、
 
 
 
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  大谷幸四郎少将の第3水雷戦隊と、 小副川敬治 大佐の第14駆逐隊の7隻と、合流する
 
と、  一路輸送船団の周囲を護衛しながら、 ルースキー島要塞の大砲の盾となりながら
 
 
 
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     ゆっくりと、輸送船団を護衛して、  輸送船団は、ウラジオストックに到着したのでした。
 
 
 
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     これらの輸送船部隊は、順番に、上陸を開始し、 発砲などもなく、 徐々に港に上陸
 
     していったのでした。
 
 
 
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        実は、当時陸軍の部隊を運ぶ輸送船が限られていて、 2個師団の兵士を運ぶのに
 
      複数回、往復することとなり、 完全に2個師団、上陸が完了するまでには、2ヶ月
 
      を要したのでした。
 
 
 
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さらに、 日を置いて、 ベトナムに駐留するフランス植民地軍700名、 中国軍 2000名、
 
イギリス インド植民地軍 1500名、 イタリア軍1400名、  カナダ軍4192名 最後のアメリカ軍
 
 
 
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7950名が、ウラジオストックに到着したのは、大正7年の9月になってからで、全体が上陸するのに
 
数ヶ月を要したのでした。
 
 
 
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       結局、これらの部隊の総指揮官は、兵力が一番多い、日本軍の大谷大将が
 
     とることになっていたのですが、 アメリカ軍、カナダ軍などは、 ウラジオストック周辺
 
    以外、展開することを大統領から許可をもらわないと出来ないと、申し立て、 実際は、
 
 
 
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       ウラジオストックの周辺の治安維持程度しか、役に立たなかったのだそうです。
 
 
 
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    又、その他のイギリス軍などは、戦意の低い、インド軍で、すぐ撤退してしまうなど、
 
当時の記録を見ると、使い物にならなかったそうです。
 
 
 
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  彼らの目的は、 この沿海州の占領が目的ではなく、あくまでも、難民の保護が目的で、
 
自衛の場合しか、 戦闘は出来ないと、当時申し立てたそうです。
 
    これらの実情を見た、ロシア白軍は、 結局、日本軍だけが頼りとなり、  シベリア鉄道
 
沿いに、部隊を展開していくわけですが、  アメリカ軍が到着したのが、9月、 すぐに、現地では
 
雪の季節となり、 夜中に野営したり、 補給部隊が、ゲリラに襲われたり、姿が見えにくい敵と
 
 
 
 
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  戦うことになるのですが、当時のこの地域のゲリラは、 共産党の革命に参加すると、地主を
 
処刑して、 悪徳ロシア正教の神父を排除して、自分たちの土地がもらえると信じていたようで、
 
レーニンは、 共産主義という名の経済学を人々の支配に都合がよいように替えていき
 
 
 
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     政治局員という、目付のような役職を作り上げ、密告を奨励し、 軍隊の中でも、疑わしい
 
行動をしていく人を、 秘密警察を使って、処刑していき、  実際のマルクス先生が、どうしたら
 
貧困がなくなるであろうかと、考えた、マルクス主義とは、似ている部分もあったのですが、 実際は
 
恐怖政治だったのです。   これは、歴史が証明しているわけです。
 
そして、レーニン共産党は、 こんどは、ユダヤ人を排斥していくのですが、 又後日紹介します。
 
 
ちょうどその頃、 1918年、  戦場でドイツ陸軍一等兵として、戦っていたアドルフヒットラーは、
 
 
 
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   ドイツ陸軍軍のユダヤ人軍曹に、 命がけの伝令任務を完遂したら、昇進させてやると、
 
 だまされて、 結局毒ガスで、倒れてしまい、野戦病院で養生していたのですが、
 
   このような、乱れきった、世の中を何とかしないといけないと、考えるようになったのでした。
 
 
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    彼は、ずいぶんと、ユダヤ人という、国も持たない民族の上官にひどい目にあわされ、結局
 
ドイツ国防軍の伍長まで、昇進するのですが、 軍隊内で、ユダヤ下士官の横暴に、反感を持ち、
 
戦争終了後、ドイツのミューヘンで、 家のない無職の浮浪者をしながら、 演説会場を回るという
 
生活を始めていきます。
 
    つまり、彼の自伝を研究すると、 ちょうどこの時期、 ヒットラー自身が、演説に才能があると
 
   自分で気がついたそうです。
 
   この頃から、 次の世界大戦の悲劇が始まっていくのでした。
 
 
 
【次回に続く。】