第637回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第636話 長春武力衝突事件の事。          2013年11月19日火曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
     大正8年の浦塩派遣軍の軍司令官が、山縣有朋侯爵の意向で、入れ替えになった頃、
 
満州鉄道沿線沿いの、長春と言う都市、当時は、長春ではなく、寛城子【かんじょうし】と、呼ばれていた
 
そうですが、 ここで、中国軍軍閥と、 日本軍の第16師団隷下の奈良歩兵第53連隊との間で、戦闘が
 
発生したのです。
 
 
 
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      当時、日本は、日清、日露の戦争で、勝利し、 中国の満州にある鉄道、 満州鉄道を
 
    傘下に置き、 と、いいますと、わかりずらいのですが、 日本で例えますと、 日本の土地は、
 
    日本政府が行政を行っているのですが、 東海道本線を、外国が支配している、 そんな
 
     感じであったのです。
 
 
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    そういうわけで、 ずいぶんと、ややこしいのですが、 満州鉄道は、日本人の駅員、警察が
 
    管理し、 それに合わせて、周辺を陸軍が警備していたのです。 
 
 
 
 
    
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        日本人からしますと、多大な戦死者を出して、戦争に勝利し、得た利権でしたが、
 
        地元の中国人から見れば、 侵略者以外、何者でもなかったのです。
 
 
        
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         満州鉄道沿線には、日本人が西洋様式の建物を建て、 日本人の商売人が
 
         どんどん進出していたのです。  当然、現地人と摩擦が起きてくるわけです。
 
         当時の日本人と、陸軍の武力を後ろ盾にして、ずいぶんと、悪い事を満州人に
 
         していた人もいるようですし、 又、反対に、外部から入ってきた、日本人を
 
         目の敵にしていた、満州人もいたようです。
 
 
 
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           【 元ロシア帝国のスパイで、 田中義一陸軍大臣の協力者 張 作霖 】
 
 
 
         当時の、寛城子の周辺に、根を張っていた、中国の軍閥は、日本の田中義一陸軍
 
         大臣が、手駒のようにしていた、奉天軍閥張作霖【ちょうさくりん】の敵対
 
 
 
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                  【  長春軍閥   猛 恩遠  もう おんえん 】
 
      
        勢力の 猛 恩遠 【もう おんえん】 と言う勢力が、この地域を支配していたのです。
 
        猛 恩遠 と言う人は、袁世凱が生きていた頃は、 従っていたようですが、 袁世凱
 
       の死後、北京の政情が混乱すると、独立を宣言し、民衆から税金を聴取し、この地域の
 
       領主的存在であったのです。
 
 
 
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       彼も、日本と勝負すると、負けるのはわかっているので、表向きは、日本に協力する
 
       態度を取り、 和平が保たれていたのです。
 
       事件は、 彼の配下の兵士が、 日本人の商売人から、荷車を、徴発と称して、 持っていく
 
      トラブルが多発し、 日本側が抗議を申し込むと、以後、このような事は行わないと、
 
       取り決めがあったようですが、 またまた、一部の末端の 猛の兵士が、日本人の商売人
 
      から、荷車を横取りしている現場に、一人の警官が、止めに入ったそうです。
 
      栗坪 主一 巡査 という人ですが、 猛の配下の兵士数人に、袋だたきにされて、頭部から
 
      大量に出血するという、傷害事件になったのです。
 
 
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      荷車の強奪された被害者の日本人の通報で、 栗坪巡査は、病院に収容されたのですが、
 
     警備を担当する、 奈良歩兵五三連隊の第1大隊の住田中尉は、部下数名と、中国軍の
 
     駐屯地に、抗議に出かけたのでした。
 
 
 
 
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     中国軍の将校は、事実を全く知らないようで、 丁重に招かれて会談が行われ、 事実
 
     調査して、中国側が報告すると、 言う事になったようですが、 大正8年の7月19日の
 
     昼前、 長春駅付近で、船津藤太郎という日本人が、中国兵に袋だたきになり、 意識を
 
     失うという傷害事件が発生したのでした。
 
 
 
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      周囲の日本人が、 船津さんを、救助して、病院に連れ込んだのですが、 この事件の報告が
 
      第1大隊の警備司令部に報告され、 警備隊の松岡大尉と住田中尉は、中国軍の駐屯地に
 
      抗議のため、出向くことになったのでした。
 
 
【次回に続く。】