第645回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第644話 ニコラエフスク、ラ、アムーレの空中投下作戦の事。
2013年11月27日水曜日の投稿です。
翌日の大正9年5月29日の早朝、 天候の状態を見まして、なんとか、
飛行可能であると判断しまして、 水上機母艦の若宮は、波の比較的穏やかな、
沿岸の入り江に、 2機の水上機をデリックで、水面に降ろしまして、 ロシア語、
日本語で書かれた、ビラを麻袋に入れまして、
に対して、援軍を伝える、 ビラの空中投下作戦が、発令されたのでした。
花房太郎 海軍大佐などが、帽子を振る中、 離水していったのです。
2機の飛行機は、そのまま、陸地の海岸線沿いをたどりまして、 ニコラエフスク、ラ、
アムーレの港町の上空に達し、 「 日本海軍、数日後に救援に来たる。」 と書か
れた文章を、上空から散布していったのです。
ビラが持ち込まれたようです。
彼らも、空を飛ぶ、鳥のような、飛行機を見るのは初めてであったようです。
海軍航空隊の水上機2機は、ビラをばらまいた後、 港街上空で、偵察活動を
した後、無事、 迷子になることなく、 海岸線を南下して、水上機母艦 若宮まで、
帰還したのでした。
焼け野原に近く、 中国の艦船と思われる4隻は、港の沖合に停泊中と、報告が
あり、すぐさま、水上機母艦、 若宮から、電信で、第3艦隊 旗艦に、報告された
のでした。
一方、 アムール河 上流のハバロスク方面より川を下っていた、中村海軍少将
の港街に、迫り、
間宮海峡からは、野間口 兼雄 海軍中将率いる、海軍第3艦隊の主力が、
進撃し、 後方には、 津野 陸軍少将の北部沿海州派遣隊の陸軍部隊を
載せた輸送船団が続き、 艦内では、一撃を加えんとして、猛訓練が続いていた
のでした。
陸上では、 海岸沿いの道無き道を、北海道旭川第7師団の多門大佐と、
栃木県の宇都宮第14師団の国分中佐の混成討伐部隊が、 不届き至極の共産
ゲリラと、中国軍艦隊に、鉄槌をくわえるべく、迫っていたのでした。
5月が終わり、月が変わって、6月になり、いよいよ、ニコラエフスク、ラ、アムーレ
の町に、 日本陸海軍の精鋭部隊が、迫っていたのでした。
【次回に続く。】