第647回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第646話  中国艦隊の詭弁の事。           2013年11月29日金曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
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中国艦隊4隻を包囲した後、第3水雷戦隊の大谷海軍少将の艦隊が、

ニコラエフスク、ラ、アムーレの港に投錨し、 我が海軍陸戦隊が、1個中隊200

名が上陸したのです。
 
 
 
  
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 上陸しますと、すぐさまゲリラの襲撃に対応出来るように、 仮設の陣地を構築
 
 しまして、 銃座などを配置したのです。
 
 
 
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      海軍特別陸戦隊は、ニコラエフスクの港に、橋頭堡を構築しまして。
 
 
 
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             船着き場周辺を制圧し、 襲撃に備えたのでした。
 
 
 
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       しばらくしますと、 中国艦隊の1隻から、小舟が降ろされまして、
 
 
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    我が方に、向かってきたのです。 どうやら代表者が乗っているようで、
 
    中国側と、会談になったのです。
 
 
 
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日本側から、第3水雷戦隊の大谷少将が会談に臨み、 「 アメリカ人のマキエフ
 
という、避難民の話によると、貴国は、日中防共条約を一方的に破り、国際法

保護された、日本領事館に、砲撃し、共産ゲリラと同盟を結んで不届き千万なり。」
 
と、中国側を問いただしたのです。
 
 
 
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すると、中国側の領事と称する、張 文換 という代表者は、「 プーシー、プーシー
 
マッタク、ジジツ、チガウアル。」 と、否定し、整理すると、このような、申し立てで
 
あったのです。
 
 
 
 
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昨年の9月に、 領事として赴任するのに、アムール河を登ろうとすると、ロシア

白軍に、砲撃され、 仕方なしに、 ここの港に停泊して、 日本領事館の石田副

領事に取りなしを依頼していたら、水面が凍結してしまい、 動きが取れなくなり、 

冬を越すことになって、水、食料などを、港に住む、中国人居留民の援助で、なん

とか、しのいでいると、 年が変わって、1月になって、ゲリラが押し寄せ、 日本軍

と、ロシア白軍が、1回は撃退したのですが、 2月に入り、 4千人近くの、共産党

軍に包囲されたのです。
 
 
 
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中華民国側としては、中立を保っていたのですが、 どういういきさつか、ニコラエフ

スクの港の市民と、日本軍と、ロシア白軍と、共産ゲリラ側で、平和的に講和が

成立し、市内に、共産党軍が入ってきて、駐屯するという、 状態になった数日後、

 日本軍と、
 
 
 
 
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共産党軍が、夜間戦闘となり、 町の至る所で、火災が発生し、 翌日、中国人

居留民から、参戦の要請があったのですが、中立を保つために、海軍なので、

陸上の戦闘は出来ないと、 断ると、 武器をかしてほしいと、中国人居留民から

何度も頼まれ、3インチ砲と、ガトリング機関銃を、貸し出したのです。
 
 
 
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しばらくしますと、日本軍が負けて、 共産ゲリラが市中を制圧し、 日本軍に協力

した市民の処刑を始めたようで、至る所で、惨劇が発生、 数日前、空から、手紙

がまかれて日本軍の大部隊が来るとわかると、 共産ゲリラは山中に移動した

ようだ、」と、このような申し立てであったようです。
 
中国側も、燃料不足と、食糧不足で、移動が出来ず、この港にとどまっていた
 
という、 そんな申し開きであたのです。
 
 
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海軍陸戦隊は、市内を偵察すると、 頭を斧で、たたき割られた、ロシア人や、

日本人などと、思われる腐敗した、死体が、数えきれぬ程度、散乱しており、 
 
 
 
 
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これらのの情報を、第3艦隊司令長官 野間口 海軍中将に打電したのでした。
 
 
 
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第3艦隊では、海軍省にすぐさま、電信報告し、 陸軍部隊の渡河作戦を支援作戦に
 
移ったのでした。
 
大正9年6月3日に、 対岸に布陣する、 第7、第14師団の混成多門支隊の渡河

作戦に移っていったのです。
 
 
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【次回に続く 。】