第653回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第652話 ロシア白軍兵士処刑の事。 2013年12月5日 木曜日の投稿です。
大東亜戦争で、日本が敗北した理由に、 外務省、海軍、陸軍が、バラバラ
に動いて対応し、 太平洋の島々では、陸軍が孤立して戦い、補給物資が無くなり、飢餓
に陥り、多くの餓死者を出し、 海軍も海上で、個別に戦いまして、 どんどん負けていったのです。
飛行機の部品、 機銃の弾丸も、陸軍と海軍で、共通性が無く、 二通りで、生産も、二通りの
設備がいるわけでして、 一方のアメリカは、陸海空共通の部品、共通の弾丸と、 このような
状態で、元々の国力が、日本は劣っているところに、 海軍の飛行機だけで、相手と戦ったり、
陸軍の飛行機だけで、戦ったり、 合同して戦うようになったのは、台湾航空戦の終盤に
なってからでした。
初めから、海軍が50の力で、陸軍が50の力で、 100の力で、戦っていたら、勝てたかも
しれません。
実際は、広い太平洋と、中国大陸に、戦力を分散してしまい、 アメリカが200の力、
日本海軍は、20の力で、戦争をして、勝てるわけがないのです。
大正9年の3月1日のニコラエフスク、ラ、アムーレの町の中でもそうだったのです。
共産党の指導者、 ヤーコフ、イヴァーノーヴィッチ、トリャービーツィンは、 州革命執行委員会
なるものを立ち上げまして、 共産党の本部のあるノーベル商会の前で、ロシア語の話せる
「 同志諸君、 すべての人民は、平等に労働し、富を集めて、 公平に人民に分配されないと
いけない、諸君は、先兵として、市内から、物資を集めてこの場所に持ってくるのだ。」と、
これらの、市民からの物資の挑発行為は、朝鮮人部隊第1中隊の隊長、朴 イリアなる
隊長の下で、行われたようで、 商店の商品はなくなり、 銀行からは、お金が無くなり、
工場からは、缶詰などや、一般家庭からは、食料品、家具、物資が共産党に没収されたのです。
当然、自分の大切な物、 食料などを隠す人が、出て来る訳でして、 これらの行為の、密告を
奨励し、 密告があり、その民家に押しかけて、例えば、缶詰などが出て来ると、女子供まで
逮捕して、市内の刑務所に連行したのでした。
手短に行われ、 すぐさま死刑が宣告され、 即日 朝鮮人部隊第2中隊こと、 市内の
3月1日より、 1月24日に共産党の使者が、ロシア白軍によって、殺害された事件の
裁判が開始され、とらえられていた、元ロシア白軍兵士など、協力者、200名に、死刑が
言い渡され、 即日、朝鮮人部隊の手で、 衣服を取られて裸にされて、 斧で、頭を
たたき斬られて、殺害されていったのです。
市内の在留日本人でつくる、日本人会では、自分ちたが、従業員で雇っていた、
次は、我が身と悟り、 市の北部の水戸歩兵第2連隊の本部に、駆け込んだのでした。
日本陸軍も、 先月まで一緒に戦っていた、ロシア白軍兵士が、200名近く処刑
されたと聞いて、 顔色を変えたのでした。
【次回に続く。】