第675回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第674話 ザザレン州派遣軍の外交の混乱の事。 2013年12月27日金曜日の投稿です。
大正9年の7月に入って、暑い時期に、新聞社を傘下に置いている、 原 敬 内閣総理大臣
の元に、 番記者から、驚く情報が寄せられたのでした。
北海道、青森などで、陸軍が徴兵で、兵隊を召集して、出征が相次ぎ、
これらの地方の、労働力不足が深刻になっているとの情報であったのです。
そして、続いて入ってきたのが、「陸軍が樺太に出兵するらしい、小樽港では、
物資の値段が高騰している。」と、こんな話が舞い込んできたのでした。
これらの情報から、内閣に無断で陸軍が、樺太出兵を企んでいるとの結論に
大反対をしたようです。
【 当時の原内閣の内田 康哉 外務大臣 】
外務省の中心的役割をはたしていた人なのですが、 アメリカとの合意を実行せず、
シベリアにとどまり、 さらに樺太に出兵するとなれば、大きな国際問題に発展
することは、誰が考えてもはっきりしていたのでした。
そこで、とりあえずの交渉先は、田中 義一 陸軍大臣となるのですが、 まったく、
対応が出来なかったのでした。
ましい事を、意見具申すると、逆鱗に触れて、いくら陸軍大将と言っても、陸軍大臣
を更迭されるのはわかっていたし、 上原 勇作 参謀総長に対しても、同様で、
取り合わないのは、言う前からわかっていたので、どうしようもなかったのです。
が、なにも決定できず、以前の西園寺内閣の時のように、内閣総辞職となり、
樺太出兵問題で、いたずらに政界が混乱するとは、されるべきだと、こう言う
お話であったようです。
損害賠償を取るのか。」と、一喝され、 「ロシアが、共産主義か、又は、別の政府
になるか、1つにまとまって、外交交渉が出来るまで、樺太を、保証占領するべし。」
と、 山縣有朋侯爵に激しく主張され、 このことは、西園寺公から、 原 敬 内閣
総理大臣に伝えられたのでした。
西原円借款と呼ばれる、貸付金の利息も支払えなくなっていたのでした。
日本としては、 大量虐殺された、損害賠償として、 賠償金を請求する権利がある
のですが、 交渉相手がはっきりするまで、樺太を、保証占領すると、こういう言い分で
あったようです。
実は、海軍は、軍艦を動かす、燃料がほしかったわけですが、 樺太の北端には、
鉱物資源が豊かで、 貴重な、石炭、石油が産出することがわかっていたのです。
いままで、軍艦をイギリスに発注していたのを改めて、 日本の国内で建造し、
製鉄業、 造船業、 その他の日本の産業を、育成していき、その税収で、国庫を
資源を、船舶で、工業地帯になどに、搬入していけば、非常に良いと考えていた
ようです。
そして、この考えは、当時の大手財閥や財界にも、支持され、日本の国論は、
樺太出兵に、傾いていったのでした。
【次回に続く。】