第681回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第680話 樺太庁【からふとちょう】の事 2014年1月2日木曜日の投稿です。
大正9年7月初旬、 阿南惟畿 【あなみ これちか】陸軍大尉は、樺太の隠密工作に、
出発するのですが、当時の、北海道の、さらに、上の樺太 【からふと】というのは、
わかりやすく言いますと、東京の上野から、青森あたりまでの距離があり、ずいぶんと
北を、ロシア帝国領と定めていたようです。
阿南閣下は、瀬戸内海の船は乗っていたらしいのですが、外洋は初めてとあって、
船の中で、随分と苦しまれたようです。
みなさんは、想像がつかないと思いますが、 外洋の波というのは、すごいもので、
私や、源田も、なれるまでは、大変で、食欲もなくなり、 胃の中に吐く物が無くなり
ますと、 胃液が、口の中にーーー、 それ以上は、控えさしていただきますが、
船酔いというのは、 とてもつらいのです。
当時、横浜から、大泊港に、 亜庭丸という、客船が出ていまして、 阿南閣下は、
乗船されまして、 はじめは、「 なんのこれしき。」と、軍刀を手に持って、目を閉じて、
辛抱していたようですが、 だんだん、船室内の揺れがひどくなり、東京湾を出て、
太平洋に出ますと、 上に上がって、下に、沈んでの繰り返しで、ついに、手洗いに
駆け込むわけですが、 満員の状態で、 客用に、洗面器というか、小さなバケツが
用意してありまして、 それに、吐くわけですが、苦行の末、 やっと、 大泊港に到着した
ようです。
その豊原市にあったのです。
戦後の現在で言いますと、北海道開発庁と言いますか、そんな感じの役所でした。
【 昭和初期の豊原の地図 】
みなさんは、戦後、王子製紙 という、会社の名前を聞いたことがあると思うのですが、
上の地図の右上に、黒い部分があると思いますが、 ここが、当時の王子製紙の
豊原工場だったところです。
上の様な写真の工場が、進出しまして、樺太では、人口が多かった都市です。
北海道で言いますと、札幌のような感じの、道庁所在地といいますか、そんな
感じの都市だったのです。
【 樺太の当時の漁港の様子。 ニシン漁などで、栄えていた。】
話は元に戻って、阿南閣下は、 上陸しますと、地面が、波のように、
揺れて、剣道で鍛えた身体も、ぐらついたそうですが、 なんとか、豊原に
宣撫工作すると行っても、すでに7月中旬、 児島兵団上陸まで、一ヶ月も
猶予がなかったのでした。
正門を入って行って、「 陸軍省の陸軍大尉 阿南 惟畿である。 長官にお会い
したい。」と、 背筋を伸ばして、軍刀をぶら下げて、声を張り上げて、 乗り
込んだのでした。
【次回に続く。】