第683回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第682話 樺太日日新聞の宣撫工作の事。2014年1月4日土曜日の投稿です。
短期間の内で日本陸軍に、自ら協力するよう、仕向けるにはどうしたらよいかと、
ふつふつと、頭を回転させまして、 何度も、考えたようですが、 結論として、恐怖
心を煽る作戦に打って出たのです。
そこを訪問して、 陸軍省の費用負担で、号外を出してもらう、そんな工作を始めた
のです。
【 当時の 樺太日日新聞の事務所 】
【 北側の 恵酢支庁、 敷香支庁 】
と、 4カ所の行政区分に分けまして、配布が行われたのです。
そして、ロシア人向けの号外の新聞は、 阿南少佐が雇用した、 現地の案内人と、
配布されていったのでした。
どんなことが書いてあったかというと、 ロシア領の対岸のニコラエフスク、ラ、
アムーレの町で、 ロシア白軍、 ロシア人、ユダヤ人、日本人など。1万2千人が、
共産主義の名の下に人々から財産、土地、金銭、食料、商品を没収し、6千人以上
が、殺害され、 町に放火され、焼け野原になった顛末を記載した新聞だったのです。
これらの新聞は、 陸軍省から提供された、悲惨な写真とともに、 人々に配られ、
それを読んだ人々は、 共産党の恐ろしさを知り、 税金が無くなるとか、 小作農に
土地を与えるとか、そんな共産党の宣伝工作を信用しなくなり、又、実際に、現地の
信憑性が高まり、 人々は、短期間の内に、ソビエト共産党に、嫌悪感と恐怖を感じる
ようになっていったのです。