第683回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第682話 樺太日日新聞の宣撫工作の事。2014年1月4日土曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
    
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                      【 当時の樺太豊原市の市内の様子。】
 
 
大正9年7月に、北海道の北の樺太の南端の豊原市に、移動した 阿南 惟畿 

陸軍大尉は、 反日感情も高い、北樺太のロシア人、 その他の民族に対して、

短期間の内で日本陸軍に、自ら協力するよう、仕向けるにはどうしたらよいかと、

ふつふつと、頭を回転させまして、 何度も、考えたようですが、 結論として、恐怖

心を煽る作戦に打って出たのです。
 
 
 
 
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当時、樺太日日新聞という、読売新聞系列の新聞社が、豊原市内にありまして、

そこを訪問して、 陸軍省の費用負担で、号外を出してもらう、そんな工作を始めた

のです。
 
南樺太の日本人向け用に日本語の新聞と北樺太のロシア人用にロシア語の物と、
 
 
 
 
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               【 当時の 樺太日日新聞の事務所 】
 
 
 日本人向けの号外は、 豊原支庁、 真岡支庁、 恵洲支庁、 敷香支庁と、
 
 
 
          
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            【 南樺太の 当時の真岡支庁、  豊原支庁 】
 
 
 
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                【 北側の 恵酢支庁、  敷香支庁 】
 
 
          と、 4カ所の行政区分に分けまして、配布が行われたのです。
 
 
そして、ロシア人向けの号外の新聞は、 阿南少佐が雇用した、 現地の案内人と、
 
商売人に託されて、 北樺太の町に持ち込まれ、そこで、陸軍省の費用で雇用された、
 
ロシア人や、現地人のアイヌ民族などの工作員の手によって、北樺太全土に
 
配布されていったのでした。
 
 
 
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 どんなことが書いてあったかというと、 ロシア領の対岸のニコラエフスク、ラ、
 
アムーレの町で、 ロシア白軍、 ロシア人、ユダヤ人、日本人など。1万2千人が、
 
 
 
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共産主義の名の下に人々から財産、土地、金銭、食料、商品を没収し、6千人以上
 
が、殺害され、 町に放火され、焼け野原になった顛末を記載した新聞だったのです。
 
 
 
 
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これらの新聞は、 陸軍省から提供された、悲惨な写真とともに、 人々に配られ、
 
それを読んだ人々は、 共産党の恐ろしさを知り、 税金が無くなるとか、 小作農に
 
土地を与えるとか、そんな共産党の宣伝工作を信用しなくなり、又、実際に、現地の
 
避難してきたイギリス人、ロシア人、アメリカ人、 ユダヤ人から、これらの話を聞き、
 
信憑性が高まり、 人々は、短期間の内に、ソビエト共産党に、嫌悪感と恐怖を感じる
 
ようになっていったのです。
 
 
 
        
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そして1番、恐怖におびえたのが、ロシア白軍の兵士達だったのです。 共産党が、
 
樺太に上陸してきた場合、1番に処刑されるのは、自分達だとよく知っていたのでした。
 
 
 
 
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冬場に入り、間宮海峡が凍結すると陸続きになり、 共産党ゲリラが、渡ってくる
 
恐れがあり、 どうするのか、 ずいぶんと議論が紛糾していったようです。
 
何しろ、 給料の支払いも止まり、 補給も無くなり、現地調達にも、限りがあり、
 
ロシア白軍兵士達は、 途方に暮れていたようです。
 
 
 
【次回に続く。】